エンタがビタミン

writer : sekihara

【エンタがビタミン♪】田村淳、母親との実体験から遺書を研究「興味を持ったらすぐにやらないと怒られた」

「自分がどう生きたいとか、こうありたいと向き合う時間になった。遺書はみんなタブー視するけど、実はみんなが手に取ってみると何か気づきがあるんじゃないか」と考え、それが大学院に行こうと思ったきっかけになったそうだ。実際に田村は長女、次女、そして妻への遺書を毎年誕生日に更新しているという。

田村は遺書動画サービス「ITAKOTO」を展開しているが、「皆さんがもっと気軽に遺書を遺すにはどういう手段がいいのか僕なりに考えている」と田村。約200名に遺書を書いてもらったが、書く前は遺書のイメージとして「自殺」「死ぬ前」「怖い」という言葉が並んだが、遺書を書いた後は「自分」「大切」「未来」とイメージが大きく変化したそうだ。田村は今も遺書について研究中だと明かした。

身振り手振りを交えてトークする田村淳

その原動力について田村は「好奇心が常にある状態なので、ある種の躁状態だと思うんですけど、あれやってみたいと衝動をすぐに行動に移す。行動に移してすぐに興味をなくすことも結構ある」と述べたが、母親から「やりたいと思ったことはすぐにやりなさい。三日坊主でもいいからとりあえず一歩を踏み出しなさい」と教えられて育ったそうだ。そのため「(物事を)続けずに(母親から)怒られることはなかったけど、興味を持ったらすぐにやらないと怒られた」と回顧した田村は「自分に正直に生きているという自信がある」と口にした。

今後の展望も明かした田村淳

今後は自身のオンラインサロンを「日本で一番ドキドキが詰まっているコミュニティにしていきたい」と意欲を見せた田村。他にもパラスポーツのボッチャ大会を政党ごとに参加する方式で開催したいそうで、すでに2つの政党から参加の了解を得たという。現在は自身が政治家になるよりも、政治家と一般の人々を近づけるような存在になりたいと希望しているが、将来的に100%政治家にならないと言い切れないとも正直に述べた。

なお同アワードの「企業部門」は知的障がい者の無数の個性を尊重し、アートという可能性を生み出した株式会社ヘラルボニーが、「自治体部門」は震災から11年、復興するだけでなく岩手県で初めて「SDGs未来都市」として選定された陸前高田市が受賞した。
(TechinsightJapan編集部 取材・文:関原りあん)

トロフィーを手に写真撮影に応じる田村淳

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