エンタがビタミン

writer : maki

【エンタがビタミン♪】MAX・NANA 安室奈美恵と共にデビューした頃振り返り「尊敬と感謝の気持ちでいっぱい」

安室奈美恵が誕生日でもある9月20日、公式サイトにて2018年9月16日で引退することを発表した。沖縄アクターズスクールで5人組のSUPER MONKEY’Sを結成した頃から安室と縁のあるMAXのNANAが9月21日、『MAX NANAオフィシャルブログ「Cafe奈々茶2号店」』で心境を綴っている。

1991年、「安室奈美恵、牧野アンナ、澤岻奈々子(後のMAX・NANA)、天久美奈子(後のMAX・MINA)、新垣寿子」で結成されたSUPER MONKEY’Sは翌年メジャーデビューを果たし、その後メンバーの変遷を経て「安室、澤岻、天久、新垣」の4人体制となる。4人は沖縄アクターズスクールを卒業して上京、1993年5月にリリースした2枚目シングル『ダンシング・ジャンク』はNHKのアニメ番組『忍たま乱太郎』のエンディングテーマに起用された。

1994年に入る頃は安室がメインとなり、7月20日に発売した4枚目シングル『PARADISE TRAIN』から安室奈美恵の単独ボーカルとなる。8月よりバラエティ番組『夜もヒッパレ一生けんめい』に準レギュラーで出演して注目を集め、翌年1月に“安室奈美恵 with SUPER MONKEY’S”名義で出したシングル『TRY ME ~私を信じて~』はオリコン週間8位を記録して累計70万枚を超える大ヒットとなる。

同年4月からは後継番組となる音楽バラエティ『THE夜もヒッパレ』のレギュラーとなり、この頃に安室を除く「NANA、MINA、LINA、REINA」の4人でMAXを結成する。安室奈美恵は“アムラー”ブームを巻き起こし、MAXの人気も上昇すると一緒にテレビ出演することが減っていく。1996年9月1日に千葉マリンスタジアムで行った『SUMMER PRESENTS ’96 AMURO NAMIE with SUPER MONKEY’S』ツアー最終公演をもってグループの活動を休止した。

「SUPER MONKYE’Sとしてデビューが決まり25年前に一緒に上京してきた奈美恵」(原文ママ)と当時を振り返るNANA。2人ともまだ15~16歳の頃である。「子供ながらに色んな事に悩んで励まし合って…」と時には衝突もありながら楽しく充実した日々を思い出す。デビューから上京してブレイクするまでは特に辛かっただろう、そんななかで安室の「才能溢れながらも誰よりも努力を惜しまない姿」に励まされ多くを学んだという。

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