イタすぎるセレブ達

writer : techinsight

【イタすぎるセレブ達・番外編】故パトリック・スウェイジの母、「いまだに息子の出演作は悲しすぎて見られない。」

09年9月にすい臓がんのため、惜しまれながらこの世を去った俳優パトリック・スウェイジ(享年57)の母パッツィさん(84)が、最愛の息子を失って約2年後、沈黙を破り初めて口を開いた。パッツィさんはいまだに息子の出演作の映画が、「悲しすぎて見られないでいる」という。

パッツィさんは自宅のあるロサンゼルスのシミバレーで英『デイリー・メール』紙のインタビューに応じ、息子の死について「彼はいつも健康で、こんなことになるとは誰も想像できなかった。」と語る。スウェイジは08年1月にすい臓がんと宣告され、およそ2年間の壮絶な闘病生活の後にこの世を去った。

ちょうど病気の宣告を受けた時に、A&Eネットワークで、警官ドラマ『ザ・ビースト』に主演が決まり、FBI捜査官役を演じることになっていたスウェイジ。仕事をどうしてもやり遂げたいと、結果的に1日12時間も働き、5時間の睡眠しかとれない中で、週末にはがん治療のための辛い化学療法を受けるという日々を続けていたという。

「がんの宣告は、家族全員にとって、非常なショックでした。」と語るパッツィさん。スウェイジはそれでも一度も不満を言わず、もう働けないという日まで働いていた。その姿を見ていたパッツィさんは「人前では決して悲しい顔を見せずにいたため、人々は彼がどれだけの痛みの中にいたか、わからなかったと思います。」と語る。

それでもスウェイジは希望を最後まで失わなかったそうだ。「彼は同情など決して欲しがらず、ただ前進し続けました。具合が悪くて歩けないような時でも、人々に決して気づかせないようにし、重荷にならないようにしていたのです。」

スウェイジの子供時代を振り返り、「彼はとてもエネルギーにあふれ、世話の焼ける子供でした。いろいろなことに夢中で、全てのスポーツを試し、歌ったりピアノやギターを弾いていました。外向的で、グレートなパーソナリティを持っていた。そばにいるととても楽しく、人を尊敬もするしマナーもよかった。」とパッツィさんは目を細める。バレエ教室を経営していたパッツィさんの影響で、3歳からバレエの英才教育を受け始めたスウェイジが、得意のダンスを披露した87年の映画『ダーティ・ダンシング』は、彼の代表作の一つとなった。

妻の女優リサ・ニーミ(55)と出会ったのも、母の経営するダンススタジオだった。「リサは私の生徒の1人で、とても美しかった。彼らは私のスタジオで共に成長し、リサはパトリックの最初のシリアスなガールフレンドになったの。」そして後に彼らは結婚した。「リサはパトリックの運命の愛。彼らは一緒になるために生まれて来たのよ。」

亡くなる前の数か月は、具合が悪い息子のそばにただ座り、手を握り続けたというパッツィさん。スウェイジが亡くなった時には、ファンから数百通はあろうかというお悔やみの手紙を受け取ったというが、一通一通に目を通し、全てを大事にとってあるという。「捨てるような心はありません。」と彼女は話す。

パッツィさんはスウェイジの出演作品を、彼の死後、一度も見ていないそうだ。「もう2度とパトリックの出ている映画は見られません。彼にこの世では2度と会えないことに、深く痛みを感じるんです。」

「子は親より先に逝くものではないわ。」とも話すパッツィさん。彼女の悲しみが癒える日はいつか来るのだろうか。
(TechinsightJapan編集部 ブローン菜美)