身体的および精神的暴力を加えた疑いで逮捕された。警察で30時間以上拘束されたが、翌日の午後には釈放された。被害者女性は病院に入院し、脳震盪と診断されたが、5日の朝に退院したことが報じられた。
2回目の逮捕は9月14日、接近禁止命令違反の容疑だった。当時、オスロ警察はスペインの通信社『EFE』の取材に応じ、マリウスは接近禁止命令が出されているにもかかわらず、被害者の一人の電話番号に連絡したとして拘留されたが、後に釈放されたことを明かした。
マリウスは容疑を否認しており、彼の弁護士オイヴィン・ブライトリン氏は「刑事弁護人としての17年間で、このような事実的・法的根拠の乏しい逮捕は経験したことも聞いたこともない」と主張した。
8月の逮捕後、マリウスはオイヴィン氏を通して声明を発表し、「先週末、あってはならないことが起きました。口論の末、アルコールとコカインの影響下で、アパート内で身体を傷つけ、物を破壊しました」と述べ、こう続けた。
「私にはいくつかの精神疾患があり、生い立ちから大人になるまでずっと困難を抱えてきました。長い間、薬物乱用に苦しみ、治療を受けてきました。今後はこの治療を再開し、真摯に治療に取り組んでいきます。」
「日曜の夜にフロッグナーのアパートで起きたことは、薬物使用と私の診断結果の言い訳にはなりません。私は自分のしたことに責任を持ち、警察には正直に説明するつもりです。」
さらに、被害者女性への思いを以下のように述べた。
「私にとって最優先すべきことは、ガールフレンドへの謝罪です。あの夜起こったことも、その後のノルウェーと外国の報道陣からの極度のプレッシャーも、彼女にとって耐えがたいものであった。辛かったに違いありません。」
マリウスの母メッテ=マリット(当時)は幼い頃に両親が離婚し、母親に引き取られて育った。
メッテ=マリットは若い頃に反抗心が強く、暴力と飲酒運転、コカイン所持で有罪判決を受けたモートン・ボルグという男性と交際中に妊娠が判明した。1997年1月にマリウスを出産し、シングルマザーとして息子を育てた。
オスロ大学在学中には、ドラッグを楽しむ人々が集まるパーティに参加するなど、奔放な生活を送っていた。1999年にはホーコン王太子と知り合い、マリウスを連れて生活を共にするようになった。
その後、メッテ=マリットの過去が暴露されたが、ホーコン王太子と2000年に婚約し、記者会見では波乱の多い過去を公表した。2人は2001年に結婚し、娘イングリッド・アレクサンドラ(20)と息子スヴェレ・マグヌス(18)を授かった。
画像は『Det Norske Kongehuset Instagram「Nye offisielle bilder」「I kveld feires Prinsessens konfirmasjon med middag for familie og venner på Skaugum.」』より
(TechinsightJapan編集部 寺前郁美)