動物園で自撮りした男性、横にいたペリカンの行動が爆笑を呼ぶ(中国)<動画あ…
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2001年に行われた第1回『M-1グランプリ』チャンピオン・中川家によると、当時の大会はネタ見せ番組の一つのような感じで優勝しても特段、仕事が増えた覚えはないという。だが今や“芸人人生を賭けた漫才頂上決戦”、“芸人にとってのジャパニーズ・ドリーム”と称され、『M-1』で優勝することを目指す芸人が多くなった。オードリーは2008年の『M-1』で敗者復活戦から決勝に進出、見事準優勝を果たしてから芸人人生が激変したコンビである。
25日深夜放送のラジオ番組『オードリーのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)で、当時を振り返ったオードリーの2人。敗者復活戦で勝ち上がれたのは「本当に運がよかっただけの話」と若林正恭が言うと、「いや、本当よ」と相方の春日俊彰も同意する。オードリーの代名詞でもある「ズレ漫才」を発表したのが2005年、若林は“このズレ漫才が世の中に通用しなかったら、辞めるしかない”というくらい芸人人生を賭けていた。結成から9年目、『M-1グランプリ2008』で準決勝で敗れるも敗者復活戦に回ったが、若林は「2008年で敗者復活しなかったら、もう絶対売れてなかった。2009年はもう絶対ありえなかったから」と、当時の追い詰められた心境を明かした。
『M-1グランプリ』第1期(2001年~2010年)の出場資格はコンビ(グループ)結成10年以内であったため、