多数のレギュラー番組を抱えて活躍中のお笑いコンビ・オードリー(若林正恭・春日俊彰)。ブレイクしてから順調だったイメージがあるが、それでも人気には浮き沈みがあったという。かつてはロケを行うとオードリー目当てに人が集まりすぎて「ロケができない」と言われ、警備員がついた時期もあったそうだ。その旬が去った後の“戦い方”について若林が番組で明かした。
2人合わせて16本ものレギュラー番組を持つ超売れっ子のオードリー。そのなかの冠番組の1つがテレビ東京『あちこちオードリー~春日の店あいてますよ?~』だ。12日深夜に放送された回では、オードリーの「若手時代の戦い方」について話が及んだ。
2008年12月に開催された若手漫才師の頂点を決める『M-1グランプリ』で敗者復活枠で決勝戦に出場し、準優勝して一躍脚光を浴びたオードリー。優勝したのがNON STYLEで3位がナイツといういずれも現在もネタ番組に登場する漫才に定評のある面々だ。当時他にはピースやはんにゃが人気で、若林正恭は「はんにゃとオードリーでdボタンでどっちが票数が多いか」を番組で競ったこともあったと振り返る。
若林は「流れが旬のときってあるから、旬のときってどんだけ大振りしてもいけちゃう」とブームの頃の様子を野球にたとえて説明。しかし旬が過ぎれば「すっごい地味な戦い方」になるといい「バット短く持って1個1個確実に。ホームランは打てないから。ホームランを現場が期待していないから」と番組における役割が変わってきたそうだ。オードリーでは旬の後の4年間がその時期だったというが、話を聞いていたゲストの小島瑠璃子は「気づかなかったですよ」と目を丸くしていた。
その旬の頃について若林は、