エンタがビタミン

writer : maki

【エンタがビタミン♪】「奇跡に近い」。相澤秀禎氏の通夜で流れた桜田淳子、松田聖子のヒット曲は偶然だった。

5月23日に亡くなったサンミュージックプロダクション会長・相澤秀禎氏の通夜が、28日に青山葬儀所で営まれた。相澤氏が自宅に下宿させて育てた女性アイドル、桜田淳子や松田聖子も参列して涙ながらに別れを惜しんだ。彼女たちが葬儀所に姿を見せると、「わたしの青い鳥」や「青い珊瑚礁」といったヒット曲が流れた。テレビ番組『アッコにおまかせ!』でもこの件を取り上げたところ、関係者から語られた意外な事実に和田アキ子も目を丸くして驚いたのである。

当時中学3年生だった桜田淳子は、芸能界に入ることを父親から猛反対されていた。その父親に「私が責任を持って育てます」と説得して自宅に住まわせたのが相澤秀禎氏だ。彼にとって初めて育てた女性アイドルである。松田聖子もまた、彼の自宅の6畳間に住まわせてもらいアイドルとして成功したひとりだ。今も、その部屋の机には彼女が貼ったシールが残っている。

6月2日の『アッコにおまかせ!』では、その2人が相澤秀禎氏の通夜に参列したことに触れると、桜田淳子がタクシーから降りる際に彼女のヒット曲「わたしの青い鳥」が流れたことを紹介した。また、松田聖子が長女の神田沙也加を伴って会長に別れのあいさつをする際にも「青い珊瑚礁」が流れており、周囲も「素晴らしい演出だ」と口にしていたという。

ところが、番組スタッフがサンミュージックの関係者に確認したところ「会場ではサンミュージックのヒット曲が収録されたCDをランダムで流しており、あの時に2曲がかかったのは全くの偶然です」と証言したというのだ。これにはアッコも「ホントに!」、「だとしたら奇跡に近いですよ」と驚きを隠せなかった。

通夜に参列した桜田淳子は公の前に姿を見せるのはおよそ17年ぶりだった。彼女はこれまでの月日を埋めるかのように、相澤氏に「来ましたよ」と話しかけていた。松田聖子も相澤氏と一時期、確執があった。そのことが思い出されたのか、彼女は号泣しながら別れを告げていたのだ。

数あるサンミュージックのヒット曲から偶然に「わたしの青い鳥」と「青い珊瑚礁」がタイミングよくかかったのならば、アッコが言うように「奇跡に近い」確率だろう。

だが、もしかすると相澤氏がわが娘のように育てた彼女たちの姿を見て、別れの言葉をかけることが叶わない代わりに2人の代表曲をプレゼントしたのかもしれない。
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)