「その後、私たちは3人でミシシッピ州の広いシングルルームのトレーラーハウスに移り住みました。母はどんな仕事でも引き受け、私たちを育ててくれました。お金はありませんでしたが、家族で映画を観に行きました。またゲーム・ナイトの日を決め、夜に3人でゲームをして過ごしました。また母は、私たちが退屈しないようとリトルリーグやボーイスカウトにも参加させてくれました。」
「母のストレスは相当なものだったと思いますが、私が思い出すことはそんなことではありません。母が教えてくれたのは前向きで肯定的な生き方で、いつも『あなたはとても頭がいいわね』『あなたはハンサムよ』『どんなつらいことでも乗り越えてきたのだから、あなたは強い子よ』と言ってくれたのです。」
「私が海兵隊に入隊した時、母は泣いていました。でも『私が大学に行くにはそうすることが一番だ』ということを母はわかってくれていました。そして私は法科大学院(ロースクール)を卒業したのです。」
「昨年、私には娘が産まれ、それを機に感情的になることが増えました。私は『父親としての一つ一つの小さな決断が、娘の将来に大きな影響を与える』ということに気づき、『もし母がいなかったら、私の人生はどんなに違っていただろう』と考えるようになったのです。私の幼い頃の人生は、決して子供らしいとは言えないものでした。母が約30年前に私を迎え入れてくれなかったら、私の心は折れていたに違いありません。でも私はそうはならなかった。母は悲しいことやつらいことがたくさんあったのに、どうにかこうにかやり繰りして、私の心の傷を癒すためたくさんの愛を注いでくれたのです。」
なおリプリーさんによると、引き取る前の男性は当時の里親に寝室の外から鍵を掛けられて閉じ込められ、言葉の虐待や暴力を受けていたという。また「いつも一人ぼっちで、ハグをして慰めたり優しい言葉をかけてくれる人もおらず、愛されることを知らなかった」とも語っている。
リプリーさんは「私が彼の里親になる決意を固めたのは1995年1月のことでした。里親のもとを転々として、改名されたり虐待されていることを知った私は、どうしても彼を放っておくことができなかったのです。そしてその後4か月をかけて当時の里親を説得しました。また彼の心の傷を取り去るために、精神科医のもとにも連れて行きました。受け入れた当初はまず、忍耐強くマナーや言葉使いから教えたのです。彼は最初こそ心に壁を作っていましたが、少しずつ人を愛することを学び、『自分は家族の一員なんだ』ということを理解していったのです」と明かしている。
なおこの投稿には「リプリーさんの愛を感じる。素晴らしい女性だ」「涙が止まらない」「今度はあなたが愛を伝えていく番ね」「これこそ希望」「母へのラブレターね」いった温かいメッセージが届いている。
画像は『Bored Panda 2020年8月4日付「Man Shares Emotional Post Of How The Woman Who Adopted Him 30 Years Back Turned His Whole Life Around」(Image credits: Humans of New York)』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 A.C.)