赤ちゃんポストに託された女児、扉を開けた消防士が“運命”を感じて養子に(米…
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プロレスラーのレジェンド“燃える闘魂・アントニオ猪木”のモノマネを得意としたお笑いタレントの春一番さんが2014年7月3日に47歳で亡くなってから6年が経った。春一番さんは猪木氏がリングでマイクアピールする時の「1・2・3・ダァーッ!」などのセリフをモノマネして一躍人気となった。その命日に本家・アントニオ猪木氏がTwitterで追悼した。
春一番さんは、芸人を夢見て1985年に片岡鶴太郎に弟子入りして太田プロダクションに所属。芸名「春一番」は師匠の片岡が付けた。後に事務所を離れる爆笑問題(太田光・田中裕二)は、太田プロの同期である。
太田光は太田プロの合同コントの打ち合わせをきっかけに同じ事務所のタレント・太田光代(現・タイタン社長)と懇意になり同棲から結婚に発展したことで知られるが、実はその合同コントを提案したのが春一番さんだった。
2018年10月26日放送のTBS系『爆報!THE フライデー』によると、春一番さんは過度の酒好きでビートたけしが心配して酒を止めるよう勧めたこともあったが、それでも飲み続けて素行不良が重なり1994年に太田プロを解雇されたという。
1997年に3歳年下の女性と結婚し、2000年頃からアントニオ猪木氏の活躍が注目を集めると、春一番さんにもオファーが増えて忙しくなった。そんななか2005年8月に腎不全で倒れて入院するとICU(集中治療室)で危険な状態となり、