エンタがビタミン

writer : maki

【エンタがビタミン♪】武田鉄矢、博多時代の“失恋体験”告白「今のストーカーになる青年とは違う」

武田鉄矢が所属するフォークグループ・海援隊のヒット曲『贈る言葉』は卒業ソングとして今も愛されるが、武田自ら「失恋した時にできた歌だ」と明かしている。その彼がゴールデンウィークに博多どんたくのステージに登場、5月3日に生放送された『ももち浜ストア20周年SP 博多どんたく 歌って笑って大行進2017』(テレビ西日本)にて海援隊として上京する前に福岡で活動した頃の思い出を話した。

福岡教育大学に在学しながらアマチュアミュージシャンとして活動していた頃、伝説のライブ喫茶・照和に出演していた。当時、照和を拠点とするバンドのなかで武田が「絶対にかなわないな」と痛感したのが「チューリップだった」という。また、若さ故に少しでも高音域が歌えることを競い合ったが、ゲストでやって来た井上陽水に圧倒された。彼が新曲『傘がない』(1972年)を出すと、武田らはこれまた若さから「せこいせこい」「傘1本でぐずぐず言わんでいいやない」と陰口を言い合った。

後に海援隊として数々の名曲を生み出すが、武田はそれについて「僕の歌はほとんど“博多のねえちゃん”に振られた時にできた失恋ソング」というのだ。前述の『贈る言葉』は彼が福岡教育大学に合格した頃、天神の喫茶・照和の前にあったスポーツセンター付近で女性に振られ「大きい声出すよ!」と去られた体験をもとに描いたという。また、20歳頃に女性から「女々しか~」と振られた衝撃は後に『思えば遠くへ来たもんだ』(1978年)を生んだ。

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