エンタがビタミン

writer : maki

【エンタがビタミン♪】はんにゃ金田“激動の20代”を共に戦った佐久間Pの愛で新境地なるか「いつか大きな河のドラマに…」

はんにゃ・金田哲のポテンシャルを誰よりも分かっているのは『ピラメキーノ』時代からの戦友、佐久間宣行プロデューサーではないだろうか。このほどお互いのYouTubeチャンネルでコラボしてギャグや対談という違った角度からアプローチしたところ、どちらからも佐久間氏の金田に対する“愛”が感じられた。金田と佐久間氏がタッグを組めば、新たなお笑いや演技の道に新境地が開けるかもしれない。

子ども向けバラエティ番組『ピラメキーノ』(テレビ東京系)が放送されたのは2009年から2015年のことだ。佐久間宣行氏は11月25日、「プロデューサーの僕が33歳で、金田が22歳でした」とツイートして懐かしんだ。

YouTubeチャンネル「はんにゃ金田SHOW」で24日に公開した『【裏話も!!】佐久間さんに“ピラメキーノ復活”許可取ってみた』では2人が対談するなか、当時テレ東のプロデューサーだった佐久間氏が新番組『ピラメキーノ』を誕生させたいきさつや、金田哲のキャラを買ってはんにゃを起用した裏話などが聞かれた。番組存続を賭けたよみうりランドからの生放送を佐久間氏が「生きるか死ぬか」の覚悟で踏み切ったエピソードなどは金田も知らなかったようだ。

金田がギャルに扮してパラパラ音楽ユニット・オンナラブリーでパフォーマンスした『ピラメキたいそう』と『Onaraはずかしくないよ』(2010年)がヒットしたため、都内のスーパーでイベントを行った時は押し寄せたファンがバスを揺らして「暴動みたいになった」ほど人気があり、とにかく多忙を極めた。番組で共演した矢島舞美(当時℃-ute)は金田がストンと落ちるように眠り、目を覚ますといつも「どこ出身なの?」と同じ質問をするので「ちょっとおかしくなってると思った」そうだ。佐久間氏が「まともに会話できない時期があったからね」と振り返れば、

1 2