米オクラホマ州に住むジェナ・ブレンさん(Jenna Bullen、25)は1999年、3歳の時に身体の95%に重度の火傷を負った。「生きているのが奇跡」と言われた事故から22年、ジェナさんはこれまでの人生を振り返り、今のままの自分を受け入れるようになるまでの心の軌跡を語った。『The Petty Show』『truly』などが伝えている。
米オクラホマ州ウォー・エイカーズ在住のジェナ・ブレンさんは1999年5月31日、身体の95%に火傷を負い生死の境をさまよった。その日一家はメモリアルデー(戦没将兵追悼記念日)を祝う準備をしており、父親はキッチンで皿を洗い、母親は庭の芝刈りをしていた。
当時3歳だったジェナさんは車庫で遊んでおり、ふとしたことから芝刈り機用のガソリン携行缶を倒し、ガソリンが湯沸かし器に引火、ジェナさんは一気に炎に包まれた。
娘を助け出したのは父親で、ジェナさんは近くの病院に緊急搬送されるとそこからさらに火傷の専門病院にヘリで運ばれた。真皮の深い部分まで火傷を負っており、誰もが「あの状態で生き抜くのは無理だろう」と思うほど悲惨な状態だった。
ジェナさんを搬送した救急隊員ウィルソンさんは、当時の様子についてこのように振り返る。
「腫れあがって硬くなったジェナさんの身体は、まるでワックスを塗ったように青白く出血もなかった。救急車の中では人間の肉が燃えた後のようなおぞましい死臭が漂い、臭いは数週間消えることはなかった。」
「救急車にはジェナさんの母親が寄り添い、ずっと娘に話しかけていた。ジェナさんは目が焼けて開くことさえできず、痛みで悲鳴をあげていた。ただ口の中や気道に火傷はなく、心配した心停止も起こさなかった。母親は始終冷静で、私たちは彼女がいてくれたことが救いだった。」
ジェナさんはこの事故で身体の95%に火傷を負い、医師に「生き残る確率は5%」と告げられた。また全ての手足の指、そして皮膚のほとんどを失った。この事故以来ジェナさんは80回以上の手術に耐えてきたが、