エンタがビタミン

writer : maki

【エンタがビタミン♪】黒木瞳が作詞、地元中学の校歌に込めた想いが素敵「義務で歌う時もあるけど、何度も歌うものだから…」

女優の黒木瞳は福岡県八女市黒木町出身で、同じ八女市出身の作家・五木寛之さんに「黒木瞳」と命名してもらったことで知られる。その彼女が12月2日放送のKBC九州朝日放送『羽鳥×宮本 福岡好いとぉ』12月号「最終回30分拡大スペシャル」にゲスト出演した。レギュラーの羽鳥慎一に黒木町のよさを知ってもらおうという彼女の案内でロケが進むなか、芸名の真相や地元中学の校歌を作詞したいきさつなどが聞かれ興味深いものとなった。

黒木瞳は八女市立黒木中学校を卒業すると、遠方の市街地にある福岡県立八女高等学校に進学して演劇部に所属。女優になりたいという夢を高校の先生が応援してくれたことで頑張ることが出来、1979年4月に宝塚音楽学校へ入学した。

地元が大好きな彼女は芸名を名所「黒木の大藤」からとって「黒木藤子」と考えていたが、折しも五木寛之さんの『朱鷺の墓』を宝塚でミュージカル化した頃で、同郷の先輩・後輩という縁もあり「黒木瞳」と命名されたのだという。黒木はそのエピソードを振り返りつつ「だから(当初芸名に考えていた)藤子ちゃん負けたんですね」と笑っていた。

このたびのロケで訪れた母校の黒木中学校で再会した同級生によると、黒木は子どもの頃から歌が上手くのど自慢大会で当時ゴールデン・ハーフがカバーしたヒット曲『黄色いサクランボ』(1970年)を歌っていたそうだ。

そんな黒木は高校卒業後、

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