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writer : maki

【エンタがビタミン♪】「松竹でもよかった」。黒木瞳がヅカ入団を相談した恩師。

女優の黒木瞳が宝塚歌劇団の元月組トップであることは有名だ。現在は名女優とし活躍する彼女だが、実は高校生の頃から女優を目指していたのだ。その黒木瞳が高校生の時に女優を目指すことをある人に相談していたことがわかった。

黒木瞳にはエピソードが多い。
福岡県八女郡黒木町の出身で、お隣の八女市出身である作家五木寛之氏が「黒木瞳」の名を考えた。
地元の八女高校時代には演劇部で活動していた。大学進学前に、親に隠れて勝手に受験した宝塚音楽学校に合格したのだ。
受験日を間違えたうえに、面接で「「SKD(松竹歌劇団)でもよかったんですけどね」などととんでもない発言をしながら20倍以上の競争率の中合格した。
そんな経緯で入団したにもかかわらず、宝塚歌劇団ではトップスターだったことはよく知られるところである。

そんな、黒木瞳が高校生時代に女優への道を目指すべきか悩み相談していたことがわかった。
西日本新聞掲載の「デスク日記」によると、記者の知人である画家のもとへ当時高校生だった黒木瞳が訪れて来たという。
その人は、黒木瞳が地元黒木中学校に通っていた時の美術の教師だった。
女子高生は親にも内緒の話としながら「女優を目指したいんですが」と相談してきた。
教師をやめて画家の夢を追った恩師ならば女優の道を目指すことを応援してくれると思ったようだ。
しかし、恩師は自分が不安定な境遇にある故にその道が厳しいことを知っている。遠まわしに考え直すように促したのだった。
親に内緒で恩師に相談したものの、賛同は得られなかった黒木瞳だが、高校卒業前に宝塚に挑戦したのは前述の通りである。この頃から強い意志をもっていたのである。

その頃から早30年が過ぎた。先日、その八女高校の同窓会が行われた。
同校の卒業生であり、黒木瞳の後輩にあたる記者も参加していた。
同窓会会場の一角から歓声があがった先を見るとワインカラーのワンピースの女性が目に入った。
いまや大女優となった黒木瞳がそこに立っていた。

彼女の故郷、黒木町に入る辺りに地元では有名な巨大な交通標語の看板が立っている
「黒木です、瞳が見てますそのマナー」
という標語だ。
強い意志で女優の夢を成し遂げた黒木瞳は地元の誇りなのである。
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)