7月15日、TBSで生放送された『音楽の日』で“未来に伝えたい曲”として福島県南相馬市の小高(おだか)中学校で誕生した合唱曲『群青』を取り上げた。安住紳一郎アナウンサーが小高中を訪れ、校長先生から『群青』が東日本大震災からほどなくして作られた経緯と、それから6年が経って今の生徒たちの意識が変化している現状を聞いた。
2011年3月11日の東日本大震災で南相馬市は津波による甚大な被害があり、小高中学校では生徒4名が亡くなった。さらに福島第一原発事故によって警戒区域に指定され、大半の生徒が全国に散り散りとなる。当時、音楽教諭を務めていた小田美樹さんは「震災後はとにかく誰ひとり声を出せない状態で、歌を歌う気持ちには皆なれなかった」と振り返る。
そこで小田さんは生徒たちの会話や作文から言葉を集めて『群青』を作った。当時の生徒に話を聞くと「小田先生が故郷・小高を想い書いてくれた歌詞だとすぐに分かった」「他の曲と比べて気持ちが勝手に入ってくる。自分たちが思ったことを歌っているので感情を込めて歌っちゃう」「震災直後から今も会えない友だちがいるので、ぐっときましたね。響きました」とその時の気持ちを思い出していた。
小高中の生徒たちは『群青』によりまた歌い始めることができた。その後同曲は全国に広がり、多くの人々から歌われるようになった。ところが校長先生は「震災から6年が経ち、だんだん『群青』に対する生徒たちの想いが薄くなりがち」だと懸念する。生徒や先生も入れ替わり『群青』の成り立ちを知る人が減っていったのだ。
そんななか今年の4月に全校集会で「『群青』への想いを伝えたい」と自ら全校生徒の前に立ち、涙ながらに同曲の歴史や経緯を訴えたのが3年生の原千尋さんである。彼女の姉は『群青』が誕生した当時の卒業生で「4人の仲間を亡くし、340名いた生徒もバラバラになった」―そんな想いが詰まった歌だと話してくれた。実は今の在学生たちも震災によって会えなくなった友だちは多く『群青』から感じる気持ちは変わらない。
原千尋さんの訴えにより、小高中の生徒たちは想いを込めて『群青』を合唱することとなる。体育館で小学生を招待して『群青』を披露する場面でVTRは終わった。