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writer : maki

【エンタがビタミン♪】℃-uteが結成10周年を前に告白。「Berryz工房のデビューは悔しかった」

アイドルグループ・℃-uteが音楽番組『musicるTV』の中でハロプロ仲間のBerryz工房が先にデビューしたことについて「初めて悔しさを知った」と明かした。しかし、それがバネとなりグループの絆を強めたという。今年、結成10周年を迎える℃-uteに湘南乃風・SHOCK EYEが書いた新曲の歌詞は、そんな彼女たちの気持ちを反映させたものだ。

℃-uteの27枚目シングル『次の角を曲がれ/我武者LIFE/The Middle Management~女性中間管理職~』が4月1日にリリースされる。収録曲の『我武者LIFE』は、音楽番組『musicるTV』(テレビ朝日系)のプロジェクト“ミリオン連発音楽作家塾”から生まれた。2月16日の放送では“作家塾”の総合プロデューサーを務める湘南乃風・SHOCK EYEと塾生のKOUGAさんが歌詞の参考にしようと、℃-uteの5人に会って10周年への想いを聞いた。

矢島舞美はハロー!プロジェクト・キッズとして活動した頃を振り返り、「出会ったとき、舞ちゃんなんて6才とかだったので…」と萩原舞の当時を思い出す。矢島はSHOCK EYEたちが分かるようにハロー!プロジェクト・キッズのオーディションに受かったメンバーから半分がBerryz工房となり、半分が℃-uteとなったことを説明して、「結成時は知らないメンバー同士が℃-uteだった」と語る。

すると、鈴木愛理が「Berryz工房が先にデビューしたときに、初めて悔しいという気持ちを知った」と告白した。さらに中島早貴も「ミーティングが終わった後に、メンバーでみんなで泣きながら“悔しい”って話した…」と明かしている。

2002年に行われたハロー!プロジェクト・キッズ オーディションで合格した15名がハロー!プロジェクト・キッズとして活動。2004年にその中から8人がBerryz工房としてデビューした。2005年に残った7人で℃-uteが結成されるが、メジャーデビューは2007年でBerryz工房より3年ほど後になる。

しかし、悔しさを乗り越えて℃-uteは成長した。Berryz工房が先にデビューした中で℃-uteとなる7人はレッスンなどの下積みが長かったことで「他のグループより絆というか、共感し合える部分をすごく積んできた」と鈴木は言う。矢島も「みんなでスタジオに集まって、今後について話して“頑張ろうっ!”ってやったよね」と円陣を組んだことを思い出していた。

そんな経験からメンバーの意識も変化して、以前よりも自分たちのライブ映像を見直すようになり、それまではスタッフ任せだったライブの組み立てにも関わるようになった。「ライブ構成も勝手に決めるようになったよね。言われなくとも、勝手にみんなで集まって“こういうことがしたいです”って書き込むようになった」と証言する岡井千聖は実に嬉しそうだった。

番組が彼女たちを訪れたのは1月のこと。それをもとにしてSHOCK EYEが書いた歌詞は完成しており、「10年後この場所にたてたキセキに心震えてる」、「共に笑い泣いて見つけた最高のfriends」など℃-uteの10年間を思い起こすフレーズも見受けられた。同行した塾生のKOUGAさんが作曲を担当した楽曲『我武者LIFE』が℃-uteの27枚目シングルに収録される。昨年11月19日にリリースした26枚目のシングル曲『THE FUTURE』の歌のままに自分の殻を破って未来を目指す彼女たちが、新曲でさらに飛躍することになりそうだ。

※画像はYouTubeのサムネイル。
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)