アパルトヘイトの象徴ともいえる写真がある。1976年のソウェト蜂起で、銃弾に倒れた13歳のヘクター・ピーターソンを抱えて逃げる少年と少女の写真だ。この少年と思われる人物が、現在カナダで収監されている男性と同一人物の可能性が非常に高いとされ、DNA鑑定が行われている。
1976年6月16日に起こったソウェト蜂起は、オランダ系白人の使用するアフリカーンス語の授業を強制された生徒らが、抗議のため行進しているところを警察が発砲、176名が殺害された事件だ。これをきっかけにアパルトヘイトへの抗議運動が全国へと展開された。このソウェト蜂起の犠牲者が写真で運ばれているヘクター・ピーターソンであり、アパルトヘイトの象徴的な写真として世界中の人が目にすることとなった。
写真でピーターソンを抱いていた少年はンブイサ・マクブという名で当時17歳。ソウェト蜂起後、治安警察によって拷問され国外退去を余儀なくさせられた。マクブはボツワナへ逃げ、その後ナイジェリアへと渡った。2004年に逝去した母親によると、マクブから連絡をもらったのは1978年のナイジェリアからの手紙が最後だった。そのときはナイジェリアの大学で勉強をしていると書いてあったという。そして彼の消息は途絶え、以降35年間その行方は謎のままであった。
9月19日夜判明した信頼できる消息筋によると、南アフリカ政府は移民法違反で逮捕された男性を救うためにカナダへチームを派遣していたことがわかった。どうやらその男性が、35年間行方がわからなかったマクブ本人である可能性が非常に高いらしい。現在、DNA鑑定の結果待ちであるが、判明次第、緊急渡航書を発行し南アフリカに帰国することになる。
マクブと思われるこの男性には、アパルトヘイトのトラウマが強く残っているという。男性はいまだにアパルトヘイトが続いており、当時の与党「国民党」が統治していると信じているため、南アフリカへの帰国を非常に恐れているとのことだ。カナダにおいても自分の祖国はナイジェリア、ザンビアなどと偽っており、その後ようやく南アフリカ人だと認めたそうだ。
ちなみに、写真の中でマクブの横で泣きながら写っている少女であり、ピーターソンの妹は、カナダに収監されているマクブの写真を見て「これはマクブではない」と述べている。
(TechinsightJapan編集部 FLYNN)