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writer : maki

【エンタがビタミン♪】「バカ野郎! 」梅宮辰夫が高倉健から指導を受けたスターになる秘訣とは?

ベテラン俳優の梅宮辰夫(73)がまだ新人の頃に先輩の高倉健からキツく叱られたことをテレビ番組で明かした。昭和の東映全盛期の懐かしい空気さえ感じるエピソードに共演者らも唸っていた。

梅宮辰夫は1958年に東映のニューフェイス5期生として映画界に入った。東映といえば高倉健がやくざ映画で一世を風靡したのはこの少し後のことだ。梅宮辰夫が『拳銃を磨く男』や『不死身の男』で人気が出てきた頃に、先輩の高倉健から指導を受けたことがあるという。8月9日にテレビ「笑っていいとも!」に出演した際に梅宮辰夫がその思い出を語った。

「50年前のことだよ」と梅宮辰夫は話し出した。ちょうど前述の『拳銃を磨く男シリーズ』が当たりだした頃と思われる。撮影所に入った彼は先輩の高倉健から「お前なんでそんなに黒いんだ」と日に焼けていることを指摘されて「どこに行ったんだ?」と尋ねられたのだ。今も、梅宮は日焼けしているのがトレードマークのようになっているが、当時からこだわっていたようである。

この頃は梅宮辰夫も20歳を越えた頃で収入も少なかっただろう。彼は正直に「アパートの屋上で焼いてました」と答えた。すると「バカ野郎!」と高倉健から一喝されたのだ。高倉健は「フィジー行ったとかタヒチ行ったとかじゃないのか?」と呆れると「スターになりたけりゃそれくらいやれ!」と梅宮に言い聞かせたのである。この話を聞いたタモリや中居正広ら共演者は「その頃はそういう時代だったよね」と映画全盛期を思い起こして感慨深げだった。

そんな梅宮辰夫もこの日は出演したコーナーの冒頭からカルチャーショックを受けていたのだ。MCの中居正広がコーナー名『中居正広のまさかのオールYESめざせ100まさか』をタイトルコールする際に、ガラガラ声でしかもぐちゃぐちゃに発音するので「何て言ってるの?」と梅宮が唖然としたのである。中居正広が平然と「タイトルコールを言いました。こういう雰囲気で芸能界やっています」と答えたので、梅宮も「はいはいっ、新しい芸能界ですねっ」と完全に次元が違うと諦めていた。梅宮辰夫も高倉健から指導を受けた頃から芸能生活50年を経て、ずいぶんとその状況が変わっていることを痛感したようである。
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)