1986年6月30日の試合以降、彼の意識が戻ることはなかった。何度も強く殴られて倒れた試合の後、24年間も生と死のはざ間で闘い続けたボクサーはようやく安眠を得たようだ。当時18歳だったエピィ・ポール(Eppie Pohl)は1986年6月30日にプレトリアで行われたボクシングの試合で意識不明となり、そのまま回復することなく2010年10月31日にthe Life Health Midmed病院で息を引き取った。43歳だった。
ポールの母親は彼が亡くなるまで1日5回も病院へ通って息子の回復を願ったが、夢が叶うことはなかった。
ポールは『the SA Defence Force』というボクシングチームに所属しており、当時の北トランスバール地方(現リンポポ州)でボクシングの復興に努めた人物だった。
1986年6月30日の試合で、ライトヘビー級だったポールは同じく南アフリカのボクサー、ゲイリー・バラードから痛烈なパンチを何度も浴びた。バラードによると「ポールをロープまで攻めた後、ただ強く殴り続けた。その後、ちょっと下がってレフェリーを見た。『試合を止めるか?』と聞かれると思ったが、レフェリーは試合をストップしなかった。」そうだ。結局リングが鳴ってコーナーに戻ったが、そのときポールは倒れてそのまま意識不明となった。
ポールが意識を失って2年後の1988年、同じく南アフリカのボクサー、ブライアン・バロネットが試合で亡くなったことでボクシングのルールが一部改正され、より安全なスポーツとなった。
今あるボクシングのルールには、そのルールを必要とするために犠牲となった選手たちがいたことを噛み締めて観戦してみてほしいと願うのは記者だけではあるまい。
(TechinsightJapan編集部 近藤仁美)