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writer : maki

【エンタがビタミン♪】「たかみなだけファンがいた」。AKB48初期メンバーで高橋みなみが最初にファンレターをもらった理由。

人気アイドルグループAKB48が、秋葉原の劇場でデビューした時には観客よりメンバーの人数が多かったという。そんな中で高橋みなみにはファンがいたのだ。当時を知るメンバーがその意外な理由を明かした。

テレビ番組『HEY!HEY!HEY!』で、お笑い芸人のAMEMIYAが替え歌でAKB前田敦子のプロフィールを紹介したことがある。その中でAKB48劇場公演初日の観客は7人だったことにも触れていた。それでもめげずに頑張った彼女達に、ついにファンレターが届き前田敦子が感激で涙した。でも、実は「たかみな宛だった」というオチの歌詞だった。

もちろん、前田敦子はAKBとしてファンレターが届いたことに感激したわけだが。この時、高橋みなみだけにファンレターが届いたことには理由があるのだ。11月15日深夜に放送された『中居正広の怪しい噂の集まる図書館』に出演したAKB48メンバーが語った当時の思い出から、それが明らかとなった。

高橋みなみがまだ14歳の頃である。AKB48に入る前に受けていた『ホリプロタレントスカウトキャラバンメモリアルオーディション2005』でファイナリスト15名に残ったのだ。この時の審査委員長が偶然にも秋元康だったのも不思議な縁だが、彼はこの時の高橋みなみを覚えていないという。

惜しくもホリプロのオーディションでグランプリを逃した高橋みなみは、同時期に応募していた『AKB48 オープニングメンバーオーディション』を受けて合格することになる。

この日スタジオにはAKB48から4人が出演したが、その中で初期メンバーである板野友美と峯岸みなみがAKB48劇場オープン時の様子を語った。前述のAMEMIYAの替え歌にあったように、観客も少なく峯岸も「まだなにも無かった」と当時の閑散とした状況を話していた。

しかしそんな中で「たかみなだけは少しファンがついていた」と彼女達は証言したのだ。ホリプロオーディションでファイナリストまで残った高橋みなみは、メディアにも露出していた為に顔を覚えられており、彼女目当てのファンがAKB劇場へ訪れていたのである。彼らからたかみなへ最初のファンレターが届いたというわけだ。

番組では高橋みなみがホリプロのファイナリストに残った際にインタビューされた様子が流れたが、彼女は「私の夢は“夢を叶えていくこと”です」、「とにかくいろんなことに挑戦していきたい」と話していた。現在ではAKB48でリーダー的存在となった彼女は、まさにその言葉どおりに突き進んでいるのだ。
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)