
駆け込み寺に入ったことで「グレ終わって」から高校時代17歳の時は朝3時に起きて新聞配達をして、母親が経営する老人ホームのデータ管理を手伝いながら夜間学校に通っていたらしい。2020年5月には「中高時代はギャルと遊んだあと家でボカロ聴いてました」とツイートして、かつての暮らしぶりをうかがわせていた。ちなみに19歳の時はラブホの受付のバイトをやったこともあるという。
そんな小田結希が東京NSCに19期生として入った時は、母親が「ちゃんと就職できて良かったね」と喜んでくれたそうだ。「相方探しの会」で植田に声をかけたのは小田の方からで、10冊ほどのノートを渡された植田は「お花の絵」や「ソフトクリーム屋さんVSアイスクリーム屋さん」といったアイデアが描かれた、まるでミステリー・マガジン『ムー』のような内容に「天才」を感じたという。そのようなユニークな発想にはヤンキーでの経験が関係しているのかもしれない。
『ザ・ラジオショー』のリスナーから「グレていた頃にやっていた悪さを言える範囲で教えて」とリクエストされた小田結希。「時効として捉えていただきたい」と前置きしてから地元で「商店街の上を走っていました」と打ち明けたところ中川家が爆笑した。予想を超えたエピソードに礼二が「すごいね、アーケードの上を」とこぼせば、剛は「悪いね~」と唸ったほどである。小田によると当時、ヤンキーの間で鬼ごっこが流行っており「上位互換」は何かと考えた末に「商店街の上を走ることちゃうか」と思いついて皆で走っていたという。それには中川家でさえフジテレビ系のゲームバラエティ番組を持ち出して「『逃走中』なんか目じゃないよ」と言葉を呑んだが、リスナーも現在のイメージとギャップを感じたのだろう。Twitter上で「小田さんが元ヤンで商店街に登っていた話すごすぎた」と反響があった。
画像は『オダウエダオダ 2022年1月13日付Instagram「神保町よしもと漫才劇場Tシャツグランプリ2022」』『オダウエダ 植田 2018年10月17日付Twitter「オダから「西条祭り楽しかった」という旨のメールと友達と撮った写真が送られてきました」』『ザ・ラジオショー【ニッポン放送・平日13時から!】 2022年6月10日付Twitter「6月10日 #中川家ラジオショー」』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)