遠足などの行事は自分でお弁当を作ったそうだ。
おばあちゃんの体調が悪くなって入院した時には児童養護施設に入ったが、優しいスタッフに恵まれ「正直楽しかったです。周りにいる子がみんな同じ気持ちでなんか本当のお姉ちゃんは妹みたい」だったと振り返る。
仲川はこれまでこうしたことを「恥ずかしい」気持ちから、話す勇気が無かったという。そのためファンには「母の日」や「父の日」にそれを隠して対応したことを「すみません」と詫びている。
インドネシアでもインタビューで「家族に会いたいですか?」「お母さんやお父さんに会いたくなりませんか?」と聞かれると悲しかったが、それでも「JKT48メンバーやスタッフさんが、家族みたいで正直楽しかったです!」「メンバーには甘えたり怒られたり体調悪い時はつき添ってくれて。そんな経験は今まであまりなかったので嬉しかったです」というから周りに救われたようだ。
「インドネシアに来て日本にいた時よりも何倍も強くなりました!」という仲川遥香。「いつか私も結婚してそしたらすてきなお母さんになりたいです! そして自分と同じような経験は他の子供達にして欲しくないです! だから今同じ経験にいる子供達に伝えたい。きっといつか素晴らしい愛に包まれる時がくるよって!」と前を向く。
これからはさらに活躍して、おばあちゃんに恩返しをしたいそうだ。また「私が今ここにいるのはお母さんとお父さんのおかげです!」と感謝を忘れず、父親とは幼い頃の分まで思い出を作り「結婚式はバージンロードを一緒に歩いてほしいし孫も見せてあげたいな」と願っていた。
そんな仲川遥香は、2017年9月11日にSNSで「2018年、日本インドネシア国交樹立60周年親善大使に任命されました」とおばあちゃんの着物を着た姿を公開していた。「おばあちゃんがいなかったら今、私はここに立っていないと思う」と話したこともあり、今回の告白を受けてその言葉を振り返るとさらに感慨深いものがある。
画像は『Haruka Nakagawa 仲川遥香 2019年2月3日付Instagram「Happy sunday」』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)