篠田麻里子が1月31日に放送されたNHK総合のドキュメンタリー番組『ファミリーヒストリー「篠田麻里子~壮絶!祖母の歳月 亡き夫に誓う~」』に出演した。彼女の父・裕典さんは2歳の時に父親(篠田麻里子の祖父)を亡くしたので篠田家の先祖についてはあまり知らない。番組では篠田麻里子から「父・裕典⇒祖父・英智⇒曾祖父・芳雄」と記録や関係者の記憶を遡った。曾祖父・芳雄さんが生まれたのは明治41年で新聞社の契約カメラマンとして活躍、昭和天皇の陸軍大演習を撮影したこともある。
芳雄さんは結婚して英智さん(麻里子の祖父)が生まれると、安定した仕事を求めて単身満洲へ渡る。ところが妻・ヒサ子さんが24歳の若さで病死してしまい、英智さんは熊本に住む祖母(芳雄さんの母)に預けられた。やがて芳雄さんは蒙古で政府の役人となり再婚して、英智さんを呼び3人での暮らしが始まる。昭和20年に第二次世界大戦が終結するも、蒙古にソ連軍が侵攻してきて戦闘となる。蒙古の日本軍が応戦して何とか封じ、芳雄さんは家族3人で故郷の熊本に戻ることができた。篠田麻里子からすれば映画のような激動の人生だ。
英智さんは熊本のつくだ煮屋で働き、そこで吉岡妙子さんと知り合う。ところが結婚の約束までしながら妙子さんが病死してしまい、両家の家族によって妙子さんの妹・絹枝さんを英智さんに嫁がせようとの話が進んだ。当初はいやいやながらの結婚だったが、英智さんの優しさに絹枝さんも惹かれていったという。昭和32年に裕典さん(麻里子の父)が生まれると、34年に英智さんは29歳で病死する。麻里子の祖母である絹枝さんは息子を育てるために給料の良い鉄工所で働いた。
しかし5年ほど勤めたある日、彼女は上司と組んで作業をしている際に手の指を2本切断してしまう。職を変えて青果市場で働くようになり、男性に負けぬ仕事ぶりで「篠田さんに任せとけば大丈夫」と言われるほどだった。そうやって育てられた裕典さんは、中学を卒業すると船乗りを目指して猛勉強、国立商船高等専門学校へ進む。だが、卒業すると船乗りの道は険しく東京の倉庫会社に就職した。
その倉庫会社で受付嬢として働いていたのが神山光子さん(麻里子の母)である。裕典さんは祖父・芳雄さん、父・英智さんゆずりのハンサム家系で、光子さんも子どもの頃から美人でスタイルが良いと評判だった。ある日、裕典さんが「明日、大事な用事があるので、朝に電話で起こしてくれませんか」と名刺の裏に自宅の電話番号を書いて光子さんに渡したことで交際が始まる。
昭和56年に結婚すると、裕典さんは船乗りの夢を追って試験を受け海上保安庁に入った。やがて長男が生まれ、続いて昭和61年に篠田麻里子が誕生するのだ。絹枝さんから「家族と一緒に暮らすように」言われた裕典さんは転勤しても単身赴任せずに妻と子どもを連れて引っ越したという。
繰り広げられるファミリーヒストリーを涙ぐみながら追う篠田麻里子。そんななかで特に意外だったのは、