ゴールデンボンバーの鬼龍院翔と喜矢武豊がバラエティ番組で、バンドを結成した頃の貧乏生活について語った。当時、鬼龍院がバイトしていたレンタルショップを訪れたが、すっかり様子が変わったという。バイト代でなんとか生活していた彼の出世ぶりとともに、時の流れが感じられた。
今や人気バンドとなった金爆ことゴールデンボンバーだが、2004年にボーカルの鬼龍院翔とギターを担当した喜矢武豊を中心に結成した時は、まさかこうなるとは想像もしなかっただろう。9月8日放送のバラエティ番組『火曜サプライズ』(日本テレビ系)では、鬼龍院、喜矢武がプライベートでも仲が良いDAIGOと3人で都内の下町を食べ歩きした。
DAIGOとの出会いは、金爆の楽曲『毒グモ女(萌え燃え編)』(2009年11月)をライブでパフォーマンスする際に振り付けの中で「ういっしゅ」を取り入れたことがきっかけだった。鬼龍院は「曲を出した時は(金爆が)全然売れていなかったので、まさか気づかれないだろうと考えていたがだんだん売れ出して…」と語る。そのためライブではDAIGOの写真も登場するが、DVDの映像ではその写真にモザイクがかかるようになった。そんな状況を耳にしてDAIGOはゴールデンボンバーと会うことになる。
今でも「ういっしゅを、そんな風に大胆に使ってくれて嬉しかった」と懐の深いDAIGOの言葉に、「やさしく許していただいた…」と鬼龍院は頭を下げる。喜矢武も「DAIGOさんだから許してくれたが、ヘタしたらつぶされていた」と感謝するばかりだ。
金爆が結成された頃にはまだ全くの無名で、DAIGOと出会うまでには数年を要する。10年前に田端・日暮里界隈に住んでいた鬼龍院はバイト代で生活していた。「レンタルビデオ屋さんで月8万~9万円くらいの収入。家賃が5万5千円のアパートだったので、何も買えなかった」という。
また、喜矢武は「家賃が払えず、携帯代も払えなくて、マネージャーに30万円は借りた」と明かしており、それを切り崩して暮らしたらしい。「返すあてもないのに」と当時を振り返るが、そんな彼にお金を貸してくれたマネージャーは金爆の成功を信じていたのだろう。
鬼龍院翔は金爆の楽曲を作詞・作曲して歌も歌っているので、『女々しくて』をはじめとする大ヒットで印税収入は相当なものとなる。また、喜矢武豊や他のメンバーもテレビ出演などのギャラは4等分されるという。今となっては貧乏だった下積み時代もバラエティのネタにできる懐かしい思い出となった。
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)