櫻井翔が『戦後70年特別番組』のなかで戦時中に多くの日本兵が命を落とした激戦地、パプアニューギニアのラバウルへ向かい遺骨収集を手伝った。生前に新聞記者として活躍した祖父・櫻井三男さんは、46年前にラバウルの遺骨収集団に随行しており、その頃を思いながら土を掘り起こす。
櫻井翔とジャーナリスト・池上彰氏がタッグを組んでメインMCを務めた『戦後70年特別番組 櫻井翔&池上彰 教科書で学べない戦争』が日本テレビ系で8月4日夜9時から放送されたが、出演者も意外な事実に驚き、ある時は涙する内容となった。
街頭調査で10代後半~30代の男女200人に「8月15日は何の日?」と問うたところ「山の日」、「肝だめしが始まった日」、「うなぎを食べる日」などユニークな答えもあり、「終戦の日」と正解したのは54%だった。また、「太平洋戦争で日本と同盟国だったのはドイツとどこ?」と質問すると「アメリカ」、「ロシア」、「イギリス」などの答えがあり、「イタリア」との正解率は50%。教科書で習ったはずが意外に認識されていないようだ。
また現在、小学6年、中学生の教科書で「特攻隊」の記述があるのは11冊中4冊との事実に、戦争について学校で教わることも限られていることを知って出演者たちも驚きを隠せない。さらに、櫻井が元特攻隊員(89)を訪問して「特攻隊は志願制だったのか?」と確認したところ「私の場合は辞令一本」「下命です」と証言があった。ほかにも戦闘機が不足して「震洋」というベニヤ板で作った船で特攻が行われたり、「伏龍」と名づけて潜水服とボンベで海底に潜み、竹の棒の先についた爆弾で上陸寸前の敵艦を爆破する特攻も計画されたという。
櫻井翔は番組の取材で、日本軍の航空基地があったパプアニューギニア・ラバウルを訪れている。ラバウル航空基地には当時、約9万人の日本兵が駐留していたが、戦況が悪化するなかで約19万人が戦死している。
150回もの空中戦を経験した元ゼロ戦パイロットに取材したところ、彼はベテランが戦死して不足すると、次から次に若手が配属されてまた戦死していく状況を「パイロットは消耗品」だと表現する。当時、ラバウルから約1000km離れたガダルカナル島に米軍が上陸したためゼロ戦で長時間飛行した後に攻撃。空中戦に使える時間は約15分という無謀な作戦から多くが戦死していった。
後に「パイロットの墓場」と呼ばれることとなったそのパプアニューギニアで、元日本兵や遺族たちが戦死者の遺骨収集活動を行ってきた。46年前に上毛新聞の特派員として櫻井三男さんも遺骨収集団に随行しており、彼が残したスクラップブックの新聞記事には「しゃれこうべには草の根がつまり、白い歯がしっかり並んでいた…」「うつろな両眼の穴が何かを訴えるように…」との描写がある。
その祖父の思いをつなぐかのように櫻井翔は「少しでも遺骨収集の手伝いができたら」とカマル村の長老に案内されて日本軍のベースキャンプがあった辺りに着いた。草の根がはびこる地面をシャベルで掘りながら「なんとしても見つけたい」「どこにいるんだろう」と汗をしたたらせること約1時間。見つかったのは茶色の木のかけらのようなものだった。
「違う気がするけど…骨?」「想像より軽い」と首をかしげる櫻井だが、長老はそれが骨だと言う。この日は約2cm~5cm四方の4つを掘り出し、専門家からも骨だと判定された。来月、人骨かどうかを確認するため、厚生労働省の派遣団が調査する予定だ。
祖父が46年前に遺骨収集した時に比べて、見つけるのが難しくなっており「今は、どこを掘っていいのか分からない」「70年という時間を感じました」と櫻井翔も身をもって知ることとなった。
番組ではほかにも、1941年12月8日に日本軍がハワイの真珠湾攻撃を行ったのは、その約2時間前にインドネシア・パレンバンの製油所を目指してマレー半島に上陸したため、米軍の妨害を恐れてのことだったと解説。さらに、長崎、広島に原爆が投下される以前から、日本でも原爆の研究が進んでいたことなど、まさに「教科書で学べない」ことが次々と明かされた。
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)