エンタがビタミン

writer : tora

【エンタがビタミン♪】「高倉健さんに一生の恩義を感じています」。東映会長が語る“健さんの男気”。

11月10日に亡くなっていたことが伝えられた俳優の高倉健さん。健さんと長きに渡り親交のあった東映現会長・岡田裕介氏は、健さんの男気に救われた経験があったという。

高倉健さんの突然の訃報が伝えられてから一夜が明けたが、今なお多くの人々が哀悼の意を捧げている。そんな中、東映代表取締役グループ会長を務める岡田裕介氏は、「映画界として、そして私個人としての支柱を失いました。映画も私も、終わりかもしれません」とのコメントを発表し、悲しみの深さを表現した。

そんな岡田氏だが、9月28日放送のラジオ番組『笑福亭鶴瓶 日曜日のそれ』(ニッポン放送)にゲスト出演した際、健さんとの思い出について語っていた。29歳で初めて東映の映画をプロデュースすることになった岡田氏だが、その時「吉永(小百合)さんと高倉健さんの(2人が出る)映画をなんとしてもやりたい」と思ったのだという。

まだ29歳、しかも初プロデュース映画で大スターの2人をキャスティングするのはかなり難しいことは容易に想像できる。加えてその時すでに健さんが東映を退社していたこともあり交渉は困難を極めた。そのため、岡田氏は2人のもとに日参して出演交渉をしたそうだ。吉永からは「高倉健さんがOKするならば、私もやらせていただきます」との条件つきで許可が下りたため、健さんが「NO」と言えば企画が全部白紙になる状況だったと岡田氏は述懐する。

日参して交渉を重ねてもなかなか首を縦に振らなかった健さんに、岡田氏がある時「(映画の企画を)やめます」と告げた。すると、健さんは「ホントにやめるのか?」と問い質し、岡田氏の覚悟を感じ取って「そこまで言うんだったら、やるよ」と出演をOKしたのだ。こうして実現した健さんと吉永の共演作『動乱』は1980年に公開された。この作品でプロデューサーとしての道が開けた岡田氏はこの時のことを振り返り「高倉さんと吉永さんには一生の恩義を感じてます」と語った。

プライベートではジョークも交えて場を和ます一面も持っていたという健さんだが、その“優しさ”と映画の役さながらの“男気”で岡田氏のプロデューサーとしての門出を後押ししていたようだ。ご冥福を祈る。
(TechinsightJapan編集部 TORA)