エンタがビタミン

writer : maki

【エンタがビタミン♪】中居正広に救われたデビュー当時の相川七瀬。今度は彼が作詞した“かたじけない”に爆笑。

ロック歌手・相川七瀬がデビューして初めて出演した歌番組で緊張して固まっていた時に、SMAPの中居正広から声をかけてもらい「勇気になった!」と明かした。彼女はその当時から約19年を経て、バラエティ番組『ナカイの窓』で本人にそのことを語ったが、中居もその時の状況を覚えていた。

相川七瀬は1995年11月に『夢見る少女じゃいられない』でデビューした。彼女が20歳の時だ。その頃、すでに人気が出始めていたSMAPは、前年の1994年に出した『Hey Hey おおきに毎度あり』が初のオリコン1位を記録するヒットとなり、1995年には『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』のパーソナリティも務めている。

後に『恋心』、『トラブルメイカー』、『Sweet Emotion』とヒットを飛ばすことになる相川七瀬だが、デビュー時はやはり緊張の連続だったようだ。今年、2014年9月3日に放送された『ナカイの窓』(日本テレビ系)の中で彼女がその頃の思い出を語った。

相川七瀬がデビューして初めて出演した歌番組があの『ミュージックステーション』だった。しかも、共演者はMr.Childrenにウルフルズ、内田有紀、そしてSMAPという顔ぶれだ。彼女は「鬼のような並びで、凄い緊張して“ハアハア”言っていた」と当時を振り返る。

その時に声をかけてくれたのが中居正広だった。「中居くんが来てくれて『緊張してんの? 大丈夫だから!』と言ってくれた。あの一言がスゴい勇気になった!」と彼女が明かすと、中居正広もその時のことを覚えていた。

本番10分前くらいに階段のところに出演者が並ぶのだが、相川七瀬が1人だけぼう然と立ち尽くしていた。中居はその時の彼女の姿を『葬式じゃねーのかな!?』と思うほどだったと表現した。『これは、この子、尋常じゃねえんだろうな』と心配して声をかけたそうだ。

彼がかけた言葉はまだあり、「すぐ終わるから、とにかく自分らしく歌った方がいいよ!」と言ってもらった相川は「スーパースターや! 中居くん素敵!」と感激したという。ただ、『ナカイの窓』にミュージシャンとして出演した“Day of the legend”ことNON STYLE・井上裕介はそんな中居正広に、「自分が歌ってないやん」と突っ込んでいた。

この日は、他にもTRFのDJ KOO、175RのSHOGOそしてTM NETWORKの木根尚登といったミュージシャンたちが揃ったことで、MCの中居正広と陣内智則も含めて全員で“Aメロ、Bメロ、サビ”の歌詞を考えて、木根尚登に曲をつけてもらおうということになった。プロデューサーとして中居がテーマを“失恋”に設定。各自が分担して1フレーズずつ歌詞を作った。

相川は放送後に『相川七瀬オフィシャルブログ「ヒカリノミ」』で、「番組の中で、即席でみんなで曲を作ったりしてとても楽しかったです」とその件に触れている。「中居くんの歌詞の『かたじけない』に本当にたくさん笑った収録でした」というように、彼女は中居正広の歌詞を聞いて爆笑していたのだ。

中居正広が考えたフレーズは「かたじけない あらゆる娘たちに かたじけない」という彼らしいものだ。ノンスタ・井上の「夕焼け空に Say goodbye」と共に、楽曲の中で浮いていしまうと懸念された。しかし、木根尚登の手にかかるとその2つがサビとして実に良い効果を出しており、特に『かたじけない』には「キュンときた」という声も出ていた。

今では3人の子どもの母親となった相川七瀬だが、デビュー時には中居正広の言葉から“勇気”をもらい、今では彼の『かたじけない』に“笑い”をもらっていた。どんな時でも人に何かを与える彼は、やはり“スーパースター”なのだろう。

※画像は『相川七瀬オフィシャルブログ「ヒカリノミ」』のスクリーンショット。
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)