母は森山良子、親戚にはかまやつひろし、祖父母も父もミュージシャン。そんな環境に生まれ育った森山直太朗だが、親から音楽の道に進むよう強いられたことは一度も無いという。幼い頃からプロのサッカー選手になることを夢見ていた彼の思いを、母は尊重し応援してくれていた。
8月9日放送の『サワコの朝』(TBS系)の司会・ 阿川佐和子は幼い頃から、著名な作家である父親に自分が読書をしている姿を見られるのが、苦痛で仕方がなかったと語る。彼女が読んでいる本を見ては「こんなものを読んでいる時間があったら、日本の古典を読め!」と、いつも父から怒鳴られていたからだ。怒鳴られ続けたことで、読書自体が苦手になってしまったのだ。好きなことを自由にさせてもらっていた森山直太朗が「うらやましい」と阿川はつぶやく。
恥ずかしいくらい“緊張感”がない家だった―という森山家は、良い意味で子どもに対して放任主義だったようだ。目を輝かせて“プロのサッカー選手になりたい”と言い続けてきた息子を、「頑張ってね」といつも応援してくれたという母の良子。しかし実は「(プロのサッカー選手は)絶対に無理だ」と、母は皿を洗いながら思っていたらしい。だが失敗も勉強だと思っていた良子は、決して“サッカーを諦めなさい”とは言葉にも態度にも出さなかったという。
少年時代の直太朗が、歌に全く興味がなかったわけではない。ただカラオケに友人と出掛ければ、無断で母親の曲が入れられたりする。それを歌っても歌わなくても煩わしかった。家に帰ると良子のミュージシャン仲間が集まり、毎晩のようにパーティ状態。常連のかまやつひろしや玉置浩二から「直太朗、何か歌え!」と迫られるのが、本当に嫌でたまらなかったそうだ。
今も直太朗の作詞共作者として知られる御徒町凧氏から、高校の文化祭で披露する歌の作曲を頼まれたのがきっかけで創作活動が始まったのは19歳の時。それから音楽の魅力に目覚め、路上ライブを中心に活動することとなる。その路上ライブの観客の中に、買い物帰りを装った母の姿が何度もあった。
サッカーに夢中だった頃は黙って見守っていてくれた良子だが、音楽に関しては今でも容赦ないダメ出しがあるそうだ。“まだ母親と同じ土俵には上がれない”と直太朗は言うが、最近遠回しにだが良子から褒められることもあると嬉しそうに話す。そして「余すことなく、自分らしく生きていく」ことが親に対する感謝の心なのかな―と考えるようになったと話す直太朗が、母親の目にどんなに頼もしく映ったことだろうか。
(TechinsightJapan編集部 みやび)