槇原敬之が“音楽に傾倒していくキッカケ”や、2002年に発表された楽曲『世界に一つだけの花』の誕生秘話などを語った。そこには、意外な秘密が隠されていたのだった。
ミュージシャンの槇原敬之が、2月28日深夜に放送されたテレビ番組『ミュージックドラゴン』にゲストとして登場した。番組MCを務めるタカアンドトシ(タカトシ)から“ミュージシャンを志すキッカケ”について質問された槇原は、幼少期のとあるエピソードを披露した。
スポーツ一家で育ったために幼い頃はスポーツに興味を持っていた槇原は、田舎に帰省した際、野球の経験が豊富なおじに「キャッチボール教えて」とお願いをした。槇原にとってこの時が人生初のキャッチボールとなったが、そんな彼におじはいきなり高いフライを投げたという。まだボールの捕り方もわかっていない槇原は、当然おじの投げたフライをキャッチできず、ボールが顔面を直撃するハメに。この経験から「小さいボールが嫌い」になった槇原は、スポーツ以外で興味のあった“音楽”に目を向けて「ピアノを習おう」と決心するに至ったと笑みを浮かべながら話した。
また、槇原は2002年に(SMAPのアルバムへの楽曲提供として)制作した楽曲『世界に一つだけの花』誕生秘話についても明らかにした。最初に「これだ!」と思い、槇原は渾身の楽曲案を提出したもののあえなく却下。締切の期日が迫っていたので楽曲提供の話自体がなくなると思っていたが、先方は「違うものを(書いて欲しい)」と言ってくれたそうで、その時に槇原は「スゴいありがたいな」と感じたという。しかし、これにより“3~4日で新たな曲の制作”という厳しい現実と闘わなければならなくなった槇原は「夢で(何か)見たら(曲が)書けるかもしれない」と思い立ち、とりあえず寝ることにした。
そして朝を迎え目が覚めると「(眼前に)絵が出てきた」ような感覚になった槇原は、それを写すような気持ちで、10分で一気に『世界に一つだけの花』を書き上げることができたと振り返った。その上で、槇原は「こんな経験は後にも先にもない。神様からプレゼントしてもらったんだ(と思う)」と口にした。
“ミュージシャン・槇原敬之”が誕生した裏には「おじとのキャッチボール」という“意外なキッカケ”があった。また誰もが口ずさむほどの名曲となった『世界に一つだけの花』が生まれた時も、槇原は“不思議な経験”をしていたのだった。
※ 画像は槇原敬之オフィシャルブログ『槇原のブログ』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 TORA)