エンタがビタミン

writer : tora

【エンタがビタミン♪】久米宏と爆問・田中、2人で“今のバラエティ番組”を語り合う。

久米宏が自身のラジオ番組で、爆笑問題の田中裕二と共に“バラエティ番組の今”について議論を交わした。そこで久米が挙げた理想の番組像は、あの大物芸人が作ってきた往年の番組の特徴と重なる部分が多かった。

爆笑問題の田中裕二が、2月22日に放送された『久米宏 ラジオなんですけど』(TBSラジオ)内のトークコーナー「今週のスポットライト!!」にゲスト出演した。久米宏と田中は“バラエティ番組論”で大いに盛り上がった。久米は“今のバラエティ番組のほとんどは収録されたもの”であるために、番組を見ていると「タレントさんたちが『ここは編集させないぞ』と気迫を込めて話しているのがわかる」という。その上で久米は「(気迫を込めた所ではなく)思わず言っちゃった、実は編集(でカット)されてしまった所の方が面白い可能性がある」と語り、視聴者が次の展開を予測できないような番組が理想だと語った。

さらに、タレントは長い間テレビに出続けると“芸の上手さ”だけでなく“人柄”も視聴者から見られるようになってくることから、「(生き方まで含めた)その人(自体)が面白いっていうのが、最後にたどり着く“芸”だと思う」と久米は持論を展開する。これを聞いた田中も“久米と黒柳徹子の人間性”や“生放送ならではのドキドキ感”などといった魅力が満載の音楽番組『ザ・ベストテン』が、これまで自分が見てきた中で一番好きだったと口にした。

ところで、テレビでの実績がそれほどなかった久米宏を一躍スターの座に押し上げた番組が、1975年より放送された『ぴったし カン・カン』であるが、この成功の裏には萩本欽一の存在があった。2011年に久米のラジオにゲストとして登場した萩本は、その当時「あの人(久米)はラジオじゃなくて、テレビ向きだよ」とTBSの番組スタッフに助言していたことを明かし、それから程なくして『ぴったし カン・カン』の司会を久米が務めることになったと語っていた。

そんな久米の“恩人”とも呼べる萩本は、1974年から放送を開始した『欽ドン!』シリーズでバラエティ番組に新たな風を吹き込んだ。その中で“素人”に番組のタイトルコールを読んでもらっていたが、今までの番組では編集の段階でカットされていた“番組名を正しく言えない”などの失敗部分を「そこにその人の人柄が表れている」として積極的に放送した。また萩本は『欽ドン!』シリーズで“お笑い”の経験は全くなかった歌手の前川清をコントの相手役に起用し、コント中に前川が“間を外す”などの“お笑いの素人”ならではの言動を“笑い”へと転換していったのだ。

2010年放送のテレビ番組『悪いのはみんな萩本欽一である』(フジテレビ)では、1972年に起こった「あさま山荘事件」をテレビで見た時に萩本が「次に何が起こるかわからない時に人はテレビにくぎ付けになる」と確信し、“テレビの持つドキュメンタリー性をバラエティ番組に応用しよう”という考えが(素人の面白さを見出した)『欽ドン!』シリーズにつながったとされていた。

「編集される部分こそ面白いかもしれない」と「テレビでは芸のみでなくその人の人柄も評価される」。この日のラジオで久米宏がのこした2つの言葉は、萩本欽一から学んできた“テレビ番組での心得”だったのかもしれない。
(TechinsightJapan編集部 TORA)