エンタがビタミン

writer : maki

【エンタがビタミン♪】黒柳徹子、テレビに関わり60年。「NHKで降ろされた」「視聴率考えたことない」。

女優・黒柳徹子は、自ら「テレビは伴侶のようなもの」というほど業界に深く、長く関わってきた。そんな黒柳が『あさイチ』(NHK)に出演して、「NHKで番組を1年間、降ろされ続けた」という意外なエピソードや「今のテレビ界をどう見るか」など興味深いトークを繰り広げた。

黒柳徹子はテレビ放送が開始された昭和28年にNHK東京放送劇団養成所に入り、やがてテレビ女優第1号として人気者となった。いわばNHKは黒柳徹子にとって故郷のような場所だ。12月26日放送の『あさイチ』に、“プレミアムトーク”ゲストとして黒柳徹子が出演した。

現在80歳の黒柳徹子は、恋愛について「以前は年上の男性がタイプだったが、今となっては年下がよい。10歳下でも70歳、20歳下でも60歳なので…どうしよう」と悩んでおり、まだまだ恋する気持ちは満々だ。他にもユニセフ親善大使として南スーダンの話や美容の秘訣なども語った。

すると、黒柳に視聴者からFAXやメールで「メディア界のレオナルド・ダ・ヴィンチだ」、「お醤油みたいな方。日本に無くてはならない方」、「興味が全身に詰まっていて、その興味が人のために何かをしてしまう天使のような方」あるいは「徹子さんは私にとって美しい言葉の先生」といった内容が続々と届いたのだ。

黒柳は「みなさん、本当にお優しいのね」とそれらの言葉に感謝しつつ、「今の全部を私の母親や、私を退学にした“トットちゃん”の学校の先生とかに聞かせてあげたい」という。子どもの頃は周囲に手を焼かせた自分が、こんなに多くの方々に喜んでもらえるようになったことを伝えたくてたまらないようだった。

さらに黒柳は「NHKではじめの頃に、私をずーっと降ろしていたディレクターにも聞かせたい」と言い出した。「そんなことがあったんですか?」とMCの井ノ原快彦(V6)や有働由美子アナウンサーも意外な黒柳の告白に驚きを隠さなかった。

昭和28年当時のテレビやラジオでのしゃべり方は、「お母様。行って参ります」といった堅苦しいものが主流であったという。そんななか、黒柳ひとりだけが「行って参りま~すっ!」とセリフを言うと、出演者がずっこけてマイクで頭を打ったという。「先輩方の機嫌が悪くなるので1人だけスタジオから出されて、廊下でみんなが終わるのをずっと待っていた」と黒柳は辛かった1年を振り返る。

だが、1年ほどで状況は一変した。今度は黒柳の個性的なしゃべりが日の目を見るようになったのだ。仕事も増えて人気者となった彼女に、やがて『徹子の部屋』の話が持ち上がる。それから同番組は35周年を迎えて、2011年には「同一の司会者による番組の最多放送回数記録」としてギネスワールドレコーズに認定された。

そうやってテレビと共に60年を歩んできた黒柳徹子は、今のテレビ界についてどう思っているのだろうか。彼女は「昔はもっと作っている人がみんな『これでどうだ!』と、寝ないで考えていた。『これくらいのものをやればお客さんもいいだろう』みたいに考える人は誰もいなかった」と語る。

そして「(当時のテレビ界の人たちは)『視聴率』ということをまず言わなかった。自分たちが好きだからやっているだけ」と今の「視聴率至上主義」との違いに触れると、「『徹子の部屋』だって私が好きだからやっているのであり、視聴率なんて考えたこともない」と言い切った。

「(その番組を)自分が好きだから。お客さんも好きだから。皆さんがいいと言われるならばそれでいいじゃない」そう信じてやるしかないという彼女の言葉に、井ノ原快彦も「勉強になります」と唸った。

そんな黒柳徹子は「これから10年、私も何かを一生懸命やればできるかもしれない。すると90歳くらいになるけども」と『徹子の部屋』をあと12年続けて「50年」を目指すという。「50年やったテレビも無いのではないか。それには頭がハッキリしていないといけないので運動したりしていますよ」と燃えているのだ。
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)