エンタがビタミン

writer : maki

【エンタがビタミン♪】関ジャニ∞が「僕らの転機となった曲」。選んだベストソングは『ズッコケ男道』

約2年ぶりにオリジナルアルバム『JUKE BOX』をリリースする関ジャニ∞が、テレビ番組のインタビューを受けて楽曲やステージ、楽器演奏について語った。その中で彼らは自身のベストソングを問われると、2007年に発売したシングル曲『ズッコケ男道』をあげている。関ジャニ∞メンバーはこの曲にどのような思いを持つのだろうか。

2002年に関西ジャニーズJr.のメンバー8人で結成したグループが、2004年に関ジャニ∞としてシングル『浪花いろは節』でCDデビューを果たした。今ではジャニーズの代表的なアイドルグループとなった彼らだが、CDデビューからブレイクするまでは苦労も多かったという。

10月11日の『ZIP!』ではエンタメコーナー“SHOWBIZ BRAVO”で関ジャニ∞へのインタビューを放送した。彼らがデビュー時からこだわっているのが楽器演奏だ。ライブで彼らが見せるバンドパフォーマンスはアイドルとは違った魅力がある。しかしそんな彼らもデビューした頃には、楽器が演奏できない者が多かった。

バンドを結成することになった当初は安田章大、渋谷すばる、丸山隆平の3人がキター経験者だった。しかし「お前ベースな!」のひと言で丸山がベースに転向する。未経験者では大倉忠義がドラム、錦戸亮がギター、村上信五がキーボードを担当することになり、最後に横山裕が「ボンゴマスターになる」ということで落ち着いた。

特に大変だったのが大倉忠義だ。「1か月後にライブがある」と言われて猛練習する彼に、安田、渋谷、丸山が付き添って教えてくれたのでなんとかなったという。両手と足でバラバラな動きをせねばならないドラムをなんとか叩けるようになったが、大倉は「最初はうるさいドラムだったと思う」と当時を振り返る。

村上信五は「何でもやらないと関ジャニ∞が続いていかないと思っていた」と、その頃から何でも嫌がらずに取り組んだと語っている。彼らはバンドだけでなく、ステージで漫才をしたりスパイコントに挑戦もした。「うんちの被りものをした時は、ジャニーさんからマジで怒られた」という苦い経験もあるそうだ。

当時から彼ら自身でステージングも考えていたが、横山裕は「最近の関西ジャニーズJr.は構成作家が付いている」と不満を口にする。「俺らの頃はそんなお金がなかった」というのだが、関ジャニ∞は今でも構成作家に頼らずに自分で考えているのだ。「才能があるということかな」と横山も自分で納得していた。

デビュー曲『浪花いろは節』から5枚目のシングル『関風ファイティング』までのタイトルからも分かるように、彼らの楽曲は“大阪ソング”が特徴だ。10月16日にリリースするアルバム『JUKE BOX』も、あのヒャダインによる新曲“TAKOYAKI in my heart”から始まる。

関ジャニ∞の“My Song My BEST”として彼らが選んだのは、2007年にリリースした6枚目シングル『ズッコケ男道』だった。村上信五はその理由を、「大阪を歌わずに関ジャニ∞らしさを出して作ってくれた曲」と説明している。横山裕は「転機になった歌やね、この曲は」と語っており、「ライブでも鉄板で盛り上がる」、「芸人さんたちもカラオケですごく歌ってくれる」と他のメンバーも納得のベストソングだ。

『ズッコケ男道』の歌詞はロックミュージシャンの上中丈弥が書いており、彼のバンド・THE イナズマ戦隊のライブでも披露している。上中丈弥はこれをきっかけに関ジャニ∞の楽曲に関わっており、彼にとっても転機となった1曲なのだ。

実は、この日の『ZIP!』にはKAT-TUNの亀梨和也がゲスト出演していた。田中聖が脱退したこともあり彼の表情も硬かったが、関ジャニ∞のVTRを見ているときには笑顔も出ていた。彼は「ジャニーズに入った頃から、一番前で歌っていた憧れの先輩」だと関ジャニ∞と出会った頃を振り返り、「気さくですごく話しかけてくれたり、関西に行った時も世話してくれた。このままの方たちですね」と彼らの人柄を評していた。
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)