エンタがビタミン

writer : maki

【エンタがビタミン♪】AKB48のブレイクに貢献した秋元才加。最後の言葉は「明日からも頑張ろう!」

AKB48の2期生として7年以上にわたり活動してきた秋元才加が、8月28日にグループを卒業した。秋葉原のAKB48劇場で行われた卒業公演で、彼女が最後に残した言葉は「本当に幸せだった! 明日からも頑張ろう!」だった。今年に入って初期メンバーの篠田麻里子、板野友美が卒業。そして2期生の秋元才加とAKB48を築いてきたメンバーが立て続けにグループを去った。秋元は最新シングルの選抜メンバーでないこともあってかテレビ番組で卒業特集も組まれなかったが、AKB48がブレイクする前にメディアで存在感をアピールし続けた彼女の貢献は大きい。

AKB48が広く世間に知られ始めたのはバラエティ番組に出演してからだ。特に人気番組『笑っていいとも!』では2009年の11月12日にメンバー33人で初出演して、当時の代表曲『会いたかった』をタモリに送っている。それ以降、『メレンゲの気持ち』や『めちゃ×2イケてるッ!』などにも登場したが、トーク番組では主として高橋みなみ、前田敦子、小嶋陽菜、大島優子、秋元才加らが出演していた。

そこで大島優子と秋元才加が、変顔やものまねといった“アイドルとは思えない”突き抜けたパフォーマンスを披露して度肝を抜いた。対して前田敦子はシャイで言葉数の少ないマイペースを通しており、そのギャップから「AKBってなんか変わってて面白そうだ」と認識されていったのだ。

『めちゃ×2イケてるッ!』に2010年1月9日、AKB48が20名近く出演した時には、お笑いタレントの江頭2:50にメンバーが追われて逃げ回る場面もあった。その江頭に、見事な足蹴りをお見舞いして黙らせたのが秋元才加だ。このハプニングでアイドルグループながらもAKB48には凄い人材がいると注目された。

その年の10月4日から秋元才加が『笑っていいとも!』のレギュラーに抜擢され、AKB48の存在を全国に広める。一方で、同時期に秋元が舞台演出家の広井王子を自宅へ宿泊させたことがスキャンダルとして報道された。彼女は不用意な行動で世間を騒がせたことに責任をとり、自らチームKのキャプテンを辞めている。

翌年の東京マラソン2011に参加した秋元才加は、「支えてくれた方々にリスタートで頑張る自分を見せたい」との決意を証明するかのように完走する。そしてその日に、AKB48総合プロデューサーの秋元康から「チームKキャプテン復帰」を言い渡された。スキャンダルの真相については不明だが、世間のバッシングもある中でめげずに頑張る彼女の姿を見てファンとなった者もいたはずだ。

彼女の活躍はバラエティ番組ばかりではない。AKB48のメディア露出が増え始めた2009年、『第1回AKB48選抜総選挙』で1位となった前田敦子のセンター曲『言い訳Maybe』がオリコン2位を記録する。楽曲と共にそのPVもファンから高く評価されているが、ラストシーンは秋元才加ならではの演出だ。

さらに、同年の10月に出した14thシングル『RIVER』はAKB48初のオリコン1位を獲得する。同曲の魅力は迫力のあるダンスであり、秋元才加も選抜メンバーとして活躍している。この曲で「カッコいい」新たな一面を見せたAKB48は、2度目の紅白出場を果たしてブレイクしていく。

2011年の『第3回AKB48選抜総選挙』で17位となった秋元は22ndシングル『フライングゲット』の選抜メンバーとなり、9月20日に開催された『AKB48 24thシングル選抜じゃんけん大会』も5位に勝ち残って『上からマリコ』でも選抜メンバーを務めた。

しかし、その彼女が2012年の25thシングル『GIVE ME FIVE!』以降は表題曲の選抜メンバーとなっておらず、テレビ番組で見かけることも少なくなってきたのだ。舞台出演も増えていた秋元は、2012年に『ローマの休日』でアン王女役に大抜擢されており、次第に舞台女優としての活動に比重を移していった。AKB48の活動を後輩に譲るかのように舞台での可能性を追求したのである。

AKB48広報担当の“サルオバ”こと西山恭子さんは、『Kyoko Nishiyama Google+』で卒業公演を終えた秋元才加について「当時から圧倒的な歌唱力と存在感がありました」と7年以上前のオーディションを思い出す。後期はその力をAKB48だけでなく舞台で試したくなったのだろう。

西山さんはそんな彼女を見て、「『やりたいことは全部やらせてもらえました』とさっぱりすっきりした表情が印象的だった」と明かしている。秋元才加が公演の最後に言った「本当に幸せだった! 明日からも頑張ろう!」はそんな彼女の心から出たものなのだ。
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)