1980年代に数多くのトレンディドラマに出演し、一躍人気者になった俳優の三上博史。順調に仕事をこなし今年はNHKの大河ドラマ『平清盛』にも出演している彼が、30代後半で俳優の仕事を辞めて建築の道に進もうと思っていた過去を吐露した。そんな三上の引退を思いとどまらせたものは舞台への出演であった。
『スタジオパークからこんにちは』(NHK)にゲスト出演した俳優の三上博史。あまりトーク番組に出演しない三上が、これまでの俳優人生について語った。そんな彼の口から、実は俳優を引退しようと思っていたとの発言が飛び出したのだ。
17歳の時に寺山修司の映画『草迷宮』で華々しいデビューをした三上。その後トレンディドラマに欠かせない存在となり、人気、実力ともにトップの座に上り詰めた。そんな三上が30代半ばにさしかかった頃、転機が訪れる。「それまで好き勝手にやらせてもらい過ぎたため、燃え尽きてしまった」、「もう自分の演じる場所はない」と感じていた彼は、このまま俳優の仕事を続けるべきか、俳優を辞めて別の道に進むか悩んでいたという。建築が好きだったので、今から建築を勉強して建築の仕事に就こうとまで考えていたそうだ。
そんな三上の役者魂に火をつけたのが“舞台”であった。三上の恩師である寺山修司の没後20周年を記念した舞台『青ひげ公の城』に出演したことで、舞台の魅力に取りつかれたようである。“寺山の秘蔵っ子”とまで言われていた三上だが、それまでは寺山から「お前は舞台には向いてないよ。映像作品に出ていればいいから」と言われていたので、舞台に出演したことはなかったのである。しかし、昔の仲間に寺山の没後20周年記念の舞台だからお前も出ろよと言われ、「どうせ引退しようと思っていたし、最後だからいいか」と出演を決めた。いざ舞台で演じてみると「ここにも演じる場所があるじゃないか」とまた俳優の血が騒ぎ、演技に目覚めたという。そこからは舞台にのめり込み、舞台への出演も増えていった。特に、ロックミュージカル『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』はお気に入りの作品となり、再演はしないことで有名な三上が再演までするほどの作品となった。
これまで、恩師である寺山修司に“向いてない”と言われ避けてきた舞台に挑戦し、演じることの本当の楽しさを知った三上。舞台『青ひげ公の城』に出演後、ドラマ出演も増えてきている。これから先も様々なことに挑戦し、観客や視聴者を楽しませる役者になってほしい。
(TechinsightJapan編集部 瑛里)