SMAPの中居正広が、テレビ番組で枝野幸男経済産業大臣を訪ねて念願の対面を果たした。「枝野さん会いたかった~」と感激を隠せない中居正広は、その熱意で大臣の意外な側面を聞き出す。
2011年3月11日に東日本大震災が発生、その後福島第一原発事故の実態が明らかになると、連日のようにテレビから情報を提供したのが当時官房長官の枝野幸男氏だった。
毎日、朝から夜まで震災被害や原発事故の実態を報告する枝野官房長官の姿には、国民も感ずるところがあった。ネットでも「枝野大丈夫か?」、「枝野寝ろ~!」といった声も飛び交ったほどだ。
そんな枝野氏に会いたかったという中居正広は、昨年末12月30日に放送された『中居正広のザ・大年表5』で経済産業省大臣執務室に枝野幸男経済産業大臣を訪れたのである。
夢の対面に感激した中居正広が「枝野さんだ! 会いたかったんですよ~!」と抱き合うようにあいさつを交わすと、枝野大臣も「恐縮です」と嬉しそうに応じていた。
10分程度の対談では、政治がらみではなく『人間、枝野さんを知りたい』と言う中居の問いかけから、枝野大臣の様々な側面が語られることとなったのだ。
枝野大臣は子ども時代に短気な性格だった為に「感情的になるな」と親から叱られ、教えられてきた。彼は成長と共に感情を抑えるよう努力してきたが、「震災後はそれを特に意識した」という。震災後の報道で目にした枝野大臣について、中居が「マスコミからの少し意地悪な質問にも表情を変えなかったのが印象的だった」と感じたその真相は彼の生い立ちにあったのだ。
震災直後から1週間ほどを総理官邸の官房長官室の周辺にいた枝野大臣は「一番忙しい時はヒゲを剃ったり、シャワーを浴びる余裕もなかった。数十時間はそういう状況が続いた」と振り返る。
中居が枝野大臣の話を聞いていつ休めたのかと心配すると、彼は「菅さんが辞めて、正式に野田内閣が発足して官房長官を外れた9月2日。その時に初めてホッとできた」と明かしたのだ。およそ半年間は緊迫した状態が続いた枝野大臣の気持ちを思い、中居は手で口を押さえて言葉が出せなかった。
そんな枝野大臣の心が休まるのは、5歳になる双子のお子さんと遊ぶ時だという。また、中学高校と「グリークラブで歌っていたので歌が好き」と言う彼は、カラオケでSMAPの「“夜空ノムコウ”も歌いますよ」と言って中居を喜ばせた。
「震災後はカラオケを歌う気持ちの余裕も無かった」と話す枝野大臣に、「2011年はさびしい年でしたね、自分も趣味を減らそうかと考えた」と自らも悩んだことを明かした中居正広は、「僕達は何をしたらいいですかね?」と復興へ向けてのアドバイスを尋ねた。
枝野大臣は「みなさんがものを買ってもらい、旅行に行って景気が良くなること」と日本全体が沈むことなく消費することの必要性を説いた。さらに彼は「一番良いのは福島に旅行に行くこと」と強く訴えると、安全が確認された地域を1人でも多く訪れて「『福島は安全なんだ』と実感して欲しい」と語った。
中居がそれに対して「今度、枝野さんの休みがとれたら、僕と旅行に行きませんか?」と大胆に提案すると、枝野大臣は「そういう機会があれば嬉しいですが」と歓迎しながらも、「その前に子どもを連れて行かなければ」と答えたのである。中居も残念そうに「子どもと行った後は僕と一緒に…」と返して、2人の福島旅行の話は先延ばしとなった。
今回の対談がきっかけとなり、いずれ枝野大臣と中居の福島への旅行が実現すれば福島復興への応援として大きな力となることは間違いない。番組関係者には是非、引き続き交渉して欲しいものだ。
実は中居正広は同番組で2010年に、当時の自民党政務調査会調査役の田村重信氏を訪問したこともある。国民と政界の距離が離れつつある中で、政治家の思いをより深く知ることができるこうした企画が増えることを期待したい。
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)