23日、北ロンドンのカムデン・スクエアにある自宅で急逝したエイミー・ワインハウス(享年27)。その葬儀が26日に営まれたが、喪主である父ミッチさんは、挨拶の中でいくつか興味深いことを話した。
エイミーの遺体は25日に検死に出されたが、いまだ死因は特定されていない。警察の現場調査で事件性など不審な点が無かったことと、ユダヤ教徒である父ミッチ・ワインハウスさんの「1日でも早く埋葬したい」という望みを検視当局が聞き入れ、細胞の毒物検査を一時中断して葬儀が営まれた次第である。
会場となったのは、ロンドンのダウンタウンから15kmほど北上した「エッジウェアベリー・レーン・セメタリー」。母ジャニスさんも気丈に振舞っていたが、歩く時には人の手の支えが必要な様子で、父ミッチさんは大勢の人々の労いや励ましの言葉に、忙しそうに対応していた。
参列者の中には、生前エイミーと仲が良かったタレントのケリー・オズボーンや、音楽プロデューサーのマーク・ロンソン、エイミーのゴッド・ドーターであるシンガーのディオンヌ・ブロムフィールドの姿も。気になるところでは、エイミー・ワインハウスと婚約かと報じられていた『Psychosis』の映画監督、レグ・トラヴィス氏の姿があったこと。ただし彼は目立たないよう気を付けていたようだ。
メディアも見守る中での葬儀となったが、喪主のミッチさんはそこで “アルコール依存症に苦しんでいたが、薬物の問題はすでに解決していた” と語り、挨拶の内容は全体的にこれまでの報道を覆しかねない意外なものとなった。
「娘は3年前にドラッグ依存からは抜け出しています。医者もよく頑張ったと驚いていました。またアルコール依存についても、3週間の禁酒に成功していたばかりです。エイミーはボーイフレンドとも幸せそうで、将来のことを話し合っていた矢先でした。」
「亡くなる前日の22日には、エイミーは母のジャニス、そしてボーイフレンドのレグとも会っており、元気だったのです。その日の夜も自分の部屋でドラムを叩き、歌ったりしていました。」
「私が最後に見た時のエイミーは、ここ数年で一番幸せなのではないかと思うような顔をしていました。うつ症状など全くありません。幸せな顔をして逝った…そのことは、残された私達にとってのせめてもの救いです。」
「娘が愛してきたもの、たとえば子供たちや馬といった世界で何か役に立てればと、慈善財団を設立してエイミーの名をつけようと思います。また、薬物依存症に苦しむ人たちを救う活動団体への寄付も考えています。」
母ジャニスさんも22日にエイミーのもとを訪れているが、別れ際にエイミーは、いつものようにジャニスさんをハグして “I love you, mom.” と言ってくれたと話している。エイミーが愛する人々に元気な笑顔を見せていたというのは、どうやら本当のことらしい。
だがその日の夜10時半頃、エイミーが街でコカインやヘロイン、エクスタシー、ケタミンなど複数のドラッグを売人から買っていたという周辺からの情報がメディアに伝わって来ており、エイミーがこれらをお酒に混ぜ、いわゆる「ドラッグ・カクテル」にして楽しんでいた可能性はやはり高い。
ここで触れたいのが、有名歌手はなぜか27歳で命を落としているという、「27クラブ」の話題である。専門家の中にはこれに若者独特の心理を重ね合わせ、カート・コバーン(94年に自殺)が典型例であったとして、 “エイミーはどうせ死ぬなら自分も27歳がいい、伝説の歌手の仲間入りをしたいと望んでいた可能性がある” と自殺説を語るものも出てきた。
(TechinsightJapan編集部 Joy横手)