80年代の人気アイドル浅香唯(41)が、テレビ番組の中で当時の恋愛事情を明かした。
1984年のことだ。少女漫画『シューティング・スター』のオーディションで優勝した彼女は、漫画の主人公の名から芸名を浅香唯と名乗り芸能界入りする。
以降はドラマ『スケバン刑事III』で主役に抜擢され、1988年に出した「C-Girl」がカネボウ化粧品のCMソングとなり大ヒットするなど人気も高まり、この頃には「アイドル四天王」の1人に数えられた。
四天王とされたのは他にスケバン刑事の先輩、南野陽子や当時から美人で話題だった中山美穂、そしておニャン子クラブの工藤静香だった。
2月1日放送された「笑っていいとも!」に『80年代のアイドルゲスト』として出演した浅香唯は、アイドル当時のことを語った。
彼女によると人気絶頂の頃にはファンクラブの会員だけで28,000人はいたというのだ。それに所属していない人も含めると想像もできない人数のファンがいたことになる。
生放送が終わり浅香唯がテレビ局から出ると、いわゆる追っかけ達が自動車やバイクでついてくるので高速道路を2周ほどして振り切る必要があった。
そこまでしても彼女が住む所は知られてしまう。彼女は「マンションの中庭に(ファンが)入ってきていっぱい隠れていた」とその凄まじさを語った。
仕事先から一度自宅に戻ると外出などはとても出来ない状態で、コンビニに1人で行くことなどなかったという。
それほど人気があった浅香唯が男性芸能人からもモテたのは当然だろう。彼女は当時かなりの男性から電話番号を渡されたことを明かした。この頃はまだ携帯電話が普及していないので、固定電話の番号をメモして渡すというのが口説くパターンだったのだ。(ちなみに光GENJIの諸星和己も別番組でその方法をとっていたと話していた)
しかし、浅香唯は彼らに一切電話をかけなかったのだ。彼女は「その頃恋はしてなかった」と言うが、事務所が恋愛禁止としていたことも関係しているようだ。
だが浅香唯は「電話番号でなく直接口説いてきた男性が3人いた」と明かした。その中でも「一番まじめに口説いてくれた」男性と交際した彼女はそのまま結婚したのだ。
「C-Girl」がヒットした頃のバックバンドでドラマーだった西川貴博がそのお相手である。交際をスクープされた浅香唯は記者会見で『交際を認める』という当時としては型破りな行動に出て話題となった。
その頃を思い出して恋愛事情を話した浅香唯は「はじめておつき合いしたのが今のダンナ」で、人生において交際したのは夫だけだと明かしたのである。
堂々と交際宣言する彼女の意志の強さがあればこそ、誘惑の多い芸能界で一人の男性との交際を貫くことができたのだろう。
話は戻るが、ファンクラブの人数が多すぎることで浅香唯が悩んだのが「ファンレターに全員返事をかけないので、不公平にならないように1人も出せなかった」ことだ。
そんなエピソードからも彼女の真面目な性格がうかがえるのである。
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)