エンタがビタミン

writer : miyabi

【エンタがビタミン♪】「私は、面白い!」天狗だった清水ミチコ その鼻をへし折ったのは、ダウンタウンとウッチャンナンチャンだった

清水ミチコはモノマネした人物から不快感を示されるケースも少なくない。彼女のモノマネには必ず“毒”が存在する。清水が好きな人物であればあるほど、その“毒”は強力になってしまうようだ。

清水が本格的にモノマネをやりだしたのは高校生時代。大ファンだった女優の桃井かおりの口調を、自分の部屋で真似していた。「宿題やんなくちゃ、いけないワケ?」とかあくまでも、自分ひとりで楽しんでいたのだ。それからピアノが得意だった彼女は、シンガーソングライターの矢野顕子の歌マネにも挑戦する。このときも“矢野の歌が好き”だったから始めたのだが、後に清水の矢野顕子のモノマネは異様な形へと変化を遂げる。(それが大ウケだったのだが。)モノマネは自分の趣味であり文章を書くのが好きだった清水は、進学のために上京し“放送作家”を目指すこととなる。

東京のアルバイト先のオーナーの紹介でラジオ局でアルバイトをしながら、コントのネタなどを書いていた。すると書いたコントより清水が時折やったモノマネの方が、周りに好評だった。それからトントン拍子に渋谷のライブハウスで、モノマネを披露するまでになる。噂を聞きつけライブを見に来ていた永六輔(当時、放送作家)の後押しで、彼女はTV番組にも出るようになり大人気となったのだ。どこの局からも引っ張りだこで、知らず知らずのうちに彼女は有頂天になっていた。

「私は、面白い。」と天狗になっていた清水の目を覚ましたのが、1988年10月から放送されたバラエティ番組『夢で逢えたら』で共演した、ダウンタウンとウッチャンナンチャンだった。コントをすれば簡単なアドリブも自分は言えず、実力の違いをまざまざと見せられたという。その落ち込み方は相当なもので、「私はもうダメだ。なんて汚い人間だったんだろう。」とまで悩みに悩み続けた。そしてある日、「過去の自分を捨てて、今まで自分のやらなかったことに挑戦してみよう。」と決意。やったことの無かった“顔マネ”に挑戦し、新境地を開いた。

1月27日の『DON!』(日本テレビ系)では現在闘病中の永六輔が清水ミチコのモノマネに関して、コメントを寄せた。
“彼女のモノマネはコピーでも無くパロディでも無い、批評になっています。嫌われるのを覚悟しているのは、ジャーナリストの姿勢であります。その点に、拍手!”
なお清水ミチコの今年の一押しは、“楽しんご”のモノマネだそう。突き抜けた“楽しんご”が、見られそうで楽しみである。
(TechinsightJapan編集部 みやび)