『笑っていいとも!』の生放送を行っていた東京・新宿のスタジオアルタが、3月31日をもって営業を休止。最後のイベントとして、TOKYO MXの『出張!5時に夢中!』の特別番組が生放送された。
慶應義塾大学卒の自虐的な笑いで“シュールの貴公子”と呼ばれブレイクしたふかわりょうが、『笑っていいとも!』のレギュラーになったのは1997年10月からであった。“お昼の顔”として国民的人気番組だった『笑っていいとも!』に、テレフォンショッキングや各種コーナーの単発のゲストではなく、曜日レギュラーとして出演できることは売れっ子芸能人の証だった頃だ。念願のレギュラー入りを果たしたふかわだったが、やる気だけが空回りするばかりで番組に貢献するどころか周囲から浮いてしまう存在に。次第にアルタに向かう足取りが重たくなっていったことを、彼は3月28日の自身のブログ『life is music』で明かしている。
そんなふかわを救ったのは「お前、絡みづらいな」と弄ってきた司会のタモリと、その頃からふかわの頭を叩くようになった東野幸治であった。皆から一歩引かれた存在だった“シュールの貴公子”から、解放してくれた恩人の2人。『笑っていいとも!』のレギュラーを3年半務めたふかわはその後、他のバラエティ番組に引っ張りだこの人気者となる。
時は流れ『笑っていいとも!』は終了し、ふかわはお笑いの世界からミュージシャンやDJ、司会業へと活動の軸足を移すこととなった。そんな彼が司会を務める『5時に夢中!』の生放送で、最後を迎えるスタジオアルタを使用することとなる。そこで番組スタッフが彼に用意した楽屋は、『笑っていいとも!』でタモリが長年使用していた部屋だったという。3月31日の『ふかわりょう(ROCKETMAN)(fukawa__rocket)ツイッター』には、「この部屋の、最後の人になる人生」と記して楽屋前で撮った写真を投稿しているが、ドアの横の張り紙にある“ふかわりょう”の文字を彼は特別な思いで眺めていたようだ。ブログでは、まるで高校球児のように「土こそ持って帰れませんが、あの楽屋の空気を、アルタの空気を、たくさん吸って来ようと思います」との言葉が綴られていた。
出典:https://www.instagram.com/naitosatoko
出典:https://twitter.com/fukawa__rocket
(TechinsightJapan編集部 みやび)