エンタがビタミン

writer : miyabi

【エンタがビタミン♪】「紅葉のために、原作を書き続けねば」。山村美紗が死ぬまで原稿に向かっていた理由。

日本のミステリーの女王と言われた推理作家の故・山村美紗さん。多忙だった彼女はホテルの部屋で執筆中に倒れ、65歳で帰らぬ人となった。美紗さんが最後まで仕事をセーブすることが無かったのは、女優である長女・紅葉(52)のためでもあったようだ。

100枚以上はあるという、山村紅葉にとって形見となる母親の着物。だが1月29日放送の『はなまるマーケット』(TBS系)で紹介された着物の写真は、赤やピンクを基調にした派手な柄ばかりだ。遺された着物のほとんどは振袖であり、美紗さんは妻になっても母親であっても愛用していたらしい。「私が着られるような、地味な着物は少ないです」と紅葉は笑う。

また、電化製品が好きだったという美紗さん。母親のプライベートルームからは、同じ種類の電化製品が何台も出てきたそうだ。新製品が発売になると次から次へと購入するので、例えばファックスが10台以上あったらしい。

美紗さんが亡くなるまで、家族でさえ入ることができなかったそのプライベートルーム。防犯対策のため、家の中に入るところから美紗さんの部屋までの扉4枚全てに、暗証番号で開閉する鍵が取り付けられていた。暗証番号は美紗さんが頻繁に変更。番号はアルファベットと数字なので、「世界の革命シリーズ」「日本の遷都シリーズ」などとテーマは決まっていたという。酔って帰宅した紅葉が、“あれ? フランス革命は…”と考えているうちに扉の前で寝てしまったこともあるとエピソードを話す。だが母親の部屋に入ることができる最後の扉だけは、紅葉にも暗証番号を教えることはなかったのだ。そのため美紗さんが急逝し関係者の連絡先を調べなければならなかった時、やむを得ず母親の部屋のドアの部品を壊さなければなかったそうだ。

母親が60歳を過ぎてもハイペースで作品を書き続けていた理由を、美紗さんが亡くなってから紅葉は知ることとなる。テレビ局のプロデューサーに「紅葉は私のコネで出ている女優だから、私が原作いっぱい書かないと」と話していた美紗さんは、知り合いの俳優らに会えば“娘をお願いします”と頭を下げていたのだ。美紗さんの原作によるサスペンスドラマには必ず出演していた紅葉だが、娘の前で母親はその演技を褒めるどころか貶してばかりだったという。

“人に頭を下げるのが大嫌いだった”美紗さんが、女優を続ける娘の行く末を案じて関係者に低姿勢で頼んで回っていた。このことを知った紅葉は現在、女優活動だけでなくテレビのバラエティ番組に出演するなど活動の場を広げている。それは亡くなった母親が天国で安心してもらえるようにと、娘として女優としての決意からだった。きっと最近の紅葉の活躍を見れば「もう私の原作は必要無いわね」と、美紗さんも天国で喜んでいることだろう。
(TechinsightJapan編集部 みやび)