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【お笑い峰打ちコラム】使い回すか、切り捨てるか それが問題だ

2008年8月5日 11:00

 ネタ見せ番組がテレビを賑わせている中、頭を抱えている芸人は少なからずいるだろう。近頃の売れっ子芸人はあまりにも短いスパンでテレビに出ているため、よほどのことをしなければネタに詰まってしまうのではないだろうか。




 敵はネタ見せ番組ばかりではない。トークやクイズを中心とした番組でも、若手芸人はとかくネタを披露することを求められる。これは仕方のないことでもあるし、より一層その芸人をお茶の間に浸透させるためには必要なことであるため、断るわけにもいかないだろう。しかし、ネタを見せすぎることが結果、芸人としての寿命を縮めることになりはしないか。

 多忙な若手芸人はネタを作る時間もなく、あちらこちらのメディアをたらい回しにされる。しかし制作サイドと視聴者はネタを求める。そうなれば同じネタばかりを使い回すことになるのは必然で、飽きの加速に一役買うことになってしまう。

 そんな芸人が増える中、「キングコング」西野亮廣(吉本興業)が自身のブログ「西野公論」で興味深いことを記している。M-1でやったネタはもう使えない、と言うのだ。なぜ、とか、どうして、ではない。西野はただ、『もうできなくなる』と断言している。そしてそのことについて『寂しい』ともこぼしているのだ。断腸の思いでネタを切り捨てる、実に西野らしいストイックな発想だ。

 確かに、視聴者としては同じネタばかり繰り返されるのは閉口だが、一度やったネタはそれきり、というのもそれこそ『寂しい』気がする。一度きりのネタを何度も見る方法としてDVDを購入するという手があるが、DVDは何度再生しても寸分違わぬネタが繰り返されるだけ。おもしろさが初見以上に増幅することはまずないだろう。その芸人のファンであるのならばともかく、おもしろさを追及するという意味では、保存された映像を繰り返し見るのは使い回し以下だ。

 音楽のコンサートには、何度やっても盛り上がる曲というものがある。歌舞伎には“十八番”があるし、落語家にだってそれぞれ得意な噺というものがあるだろう。お笑いにもそんなネタがあってもいいのではないか。何度見てもおもしろく、やればやるほど高度に精錬されていく漫才やコント。視聴者が待ってましたと手を叩くような珠玉のネタを模索し、披露することに注力してほしい、と考えるのは贅沢がすぎるだろうか。

(編集部 三浦ヨーコ)

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