井上陽水が11月28日、TNCテレビ西日本で放送された特番『華丸・大吉27周年記念 祝うて三度SP』にゲスト出演した。福岡の屋台で酒を酌み交わしながら様々な裏話を明かした井上陽水。番組HPによるとロケを終えて「今日は面白かった。やっぱり2人は大したもんです。トークで全部、身ぐるみはがされた感じかな」とコメントしている。
チューリップや甲斐バンド、海援隊、長渕剛なども歌っていた福岡のライブ喫茶・照和。博多大吉が「“照和伝説”に陽水さんも入っていて、その前のビルの喫茶店のマスターがタモリさんだった」と話したところ、井上陽水は「実は“照和”のことはよく知らない」し伝説も「ガセ」だという。他にも「百道浜の海岸で井上陽水がギターを持って1人で歌っていた」といった伝説を聞くが「そういうことはないわけよ」と否定した。
彼が歌手になるきっかけは、大学受験で浪人し博多でアパート暮らしをしていた時に、RKBラジオで当時人気だった番組『スマッシュ!!11』がアマチュアに曲を募集していたので、歌を録音したカセットテープを送ったことによる。当時は持っている者が少なかったカセットデッキを親に「英語を上達するのに必要だ」と頼んで買ってもらい2台用意した。録音した自分の歌を1台で流しながら、それにハモリを入れてもう1台で録音する工夫を凝らしてデモテープを作ったと言う。
1人が2つの声で歌うというのは当時斬新で、一般の応募者とそこで差をつけたのだ。「アンドレ・カンドレ」の名前でレコーディングしたデビュー曲は『カンドレ・マンドレ』だった。その名前の由来について彼はビートルズの『オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ』と愛読していた小説家・北杜夫の愛称「どくとるマンボウ」に、麻雀の「暗カン ドラドラ」の語感を総合して「アンドレ・カンドレ」になったという。
「アンドレ・カンドレ」として東京に出ると、渋谷のフォーク喫茶「青い森」で歌った。ケメや泉谷しげるに(初期の)RCサクセションもおり、