26日、東京・東銀座にてBLOGOS×映画『日本のいちばん長い日』 田原総一朗×小林よしのりトークイベントが行われた。戦後70年を迎える日本。折しも国会では“安全保障関連法案”が衆議院で可決され、27日から始まる参院審議を前に国民の理解を得られていない。本作で描かれた太平洋戦争末期、連合国のポツダム宣言の受託を迫る中、降伏か本土決戦か阿南陸軍大臣、昭和天皇、鈴木貫太郎首相の考える“決断”や“戦争”について田原と小林が吼えた。
冒頭、司会の大谷広太BLOGOS編集長より「1967年に映画化された本作では昭和天皇の後ろ姿しか描かれていなかったが、今回は昭和天皇役の本木雅弘さんがかなり前面に出て終戦の流れの中ではっきりと意志を示している」と本作について説明があった。田原総一朗と小林よしのりの両名は、まず“昭和天皇像”についての意見を求められた。田原が「昭和天皇をよく描いている。時間が経ったからそれだけ描けるようになったのでしょう。当時は天皇を描けなかったんでしょうね、時代が」と語れば、漫画で何度も昭和天皇を描いてきた小林は「今まで昭和天皇を演じていたイッセー尾形はチャップリンみたいに滑稽に、戦後生まれの人間が昭和天皇を見た時の違和感を強調して演じていた。何かが違うと感じていたが、今回演じた“モッくん”はモノマネをせずに自然にしゃべり気品が漂っていて、モノマネじゃないというのは良い。“モッくん”の演技のやりかたがうまいなと思った」と昭和天皇を演じたモッくんを称賛した。
映画を観覧し、当時の日本について疑問を抱いた若い世代が田原と小林に質問するコーナーでは「広島に原爆が落とされ、当時敵だったアメリカを今の日本はアメリカ大好きになっていることのヒントを教えて欲しい」との質問に、田原は「日本人がアメリカを好きになったのは、小林さんがダメだと言っている憲法(制定)にアメリカは2つの目的があった。ひとつは日本を弱体化し再び日本が戦争をできない国にする。もうひとつは日本を徹底的な理想的な民主主義にすること。言論・表現の自由、宗教の自由、男女同権、基本的人権など国民の主権に日本人がしびれたところがある。小林さんが(掲げる)一番の問題として、戦後日本は経済の発展のためにエネルギーのほとんどを使った。安全保障をアメリカに委ねたということは、外交の主権をアメリカに委ねている。今になってどうするんだ」ということだと説明した。
隣でうなずきながら聞いていた小林も、安倍首相がアメリカ議会で演説したことに触れ「その時に『日本にとってアメリカとの出会いは民主主義との遭遇だった』と言った。これに象徴されているんですよ! それ、本当は違うんですよ」と声を大にした。「アメリカとの出会いは、ペリーの砲艦外交で不平等条約を結ばれたこと。アメリカとの出会いは帝国主義との遭遇でしたと言わなければならなかった。アメリカと出会う前に、既に五箇条の御誓文の中に公議輿論を持って万機公論に徹するべしというのがあるのですが、これが民主主義。明治の五箇条の御誓文の時に民主主義の精神が持ち込まれていたのです。これをてこに自由民権運動が盛り上がった。日本にはずっと民主主義の精神があったが戦中、負け始めて民主主義が封じられ議会政治が崩壊。負けてからアメリカが民主主義を教えてやる!って言ってきたらみんな洗脳されてしまった。安倍首相までがそう思ってしまった。これはアメリカが喜ぶよ、俺が野蛮な黄色人種に民主主義を教えてやったんだとおかしくなった。戦後レジュームの脱却と訴えた安倍晋三当人までが自虐した」と熱く語った。
「憲法改正の論議が始まった時に、皇后陛下が語った五日市憲法がありましたからね」と言われたことを次のように小林は説明した。「これは民間人が自分たちで憲法を作った、そういう時代もあったのよとおっしゃっている。今の日本人は憲法を政党に任せてしまい、自分たち民間で憲法を作ろうという活力がないでしょ! 明治時代はあったんですよ、民衆が憲法を作ろうとしていたんですよ。ワシ、しゃべりすぎたな(笑)」「天皇陛下にお出まし願い、天皇陛下に最後は決めてもらわないといけないような、そんな時代にしちゃいけない。国民は自分たちが決めなくてはダメ!」と最後に強く吼えていた。
映画『日本のいちばん長い日』は、8月8日全国公開。
(TechinsightJapan編集部 うめ智子)