テレビの生出演は10年ぶりとなった昨年末の『NHK紅白歌合戦』で歌う中森明菜の姿に、ただ“生きていて良かった”と安堵の気持ちだけだったマツコ・デラックス。小学校から中学校にかけてのマツコは、彼女の歌の振り付けを完璧に覚えて歌っている少年だった。そして中森明菜が歌手として一人の女性として成長していく過程を、かなりの思い入れをもって見守っていた結果、熱烈なファンというより母のような感情を彼女に持つようになってしまったのだ。
1月27日放送の『マツコの知らない世界』(TBS系)にゲスト出演した振付師の三浦亨氏は68歳。1970年代から80年代の人気アイドルを中心に、手がけた振り付けは2000曲以上にものぼる。もちろんマツコ・デラックスが大ファンである中森明菜の振り付けも担当している。
「振りが素晴らしいの~」とマツコがウットリするのは、中森の9枚目のシングル「十戒(1984)」。三浦氏によるとこの頃から彼女は振り付けも自分流にアレンジを始めたようで、歌う“顔つき”が変わった―と話している。この曲では少しずつ円を描くようにズレていく特徴的なステップを踏む場面があるのだが、「あれはどういうことなの?」と三浦氏に問いただしていた。「十戒(1984)」の振り付けを真似てよく踊っていたというマツコは、この部分が特に印象深いらしい。すると“あれは彼女が自分でアレンジした”と聞くと、なるほど―というようにマツコはうなずいた。また中森は「先生、これはやりたくないんだけど」と拒絶することもあり、振り付けの意味を説明して彼女を納得させなければ先に進めなかったという。彼が担当した中で自己流にアレンジしていたのは、中森と松田聖子だけだったそうだ。
「取り憑かれたような歌ばっかり」「一回一回、死んでも良いって感じでやっていた」。20歳を超える頃から中森明菜はまるで身を削るが如く歌い、見る者を歌の詩の世界に引きずり込むような歌い手になっていった。酒場で会う彼女は「とても良い子で優しすぎるんですよ」と三浦氏が言うと、これまでの中森の人生を思い、複雑な表情を見せたマツコ。今は公の場で歌う姿よりも、彼女には健康で穏やかな人生を送ることを優先して欲しい―と先日、別の番組でマツコは語っていた。今や多くの芸能人に会う機会があるだろうマツコだが、思い入れが強すぎる中森にはあまり会いたくないそうだ。
(TechinsightJapan編集部 みやび)