一般男性より自由な髪型が楽しめる職業なのに、俳優の中井貴一はいつの時代も“七三分け”である。ほとんど髪型を変えないため、ネット上ではあらぬ噂も見受けられるほどだ。彼はなぜ“七三分け”の髪型にこだわっているのだろうか。
松竹の看板俳優として名実ともにトップスターだった父の佐田啓二さんが不慮の事故で亡くなったのは、中井貴一がまだ2歳の時である。その後19歳で俳優デビューを果たし、テレビドラマ『ふぞろいの林檎たち』(1983年)にて主演を務めた中井は全国的に知名度が急上昇。以後NHK大河ドラマ『武田信玄』(1988年)で主役の武田信玄を演じ、1994年に公開された映画『四十七人の刺客』では色部又四郎を演じて「第18回日本アカデミー賞」最優秀助演男優賞を受賞。こうして実力派俳優として確固たる地位を築く。50代に入った今でも、“生きている間は父を抜けない”と1月14日放送の『あさチャン!』(TBS系)“ピンスポ”のインタビューに答えている。
残されている佐田啓二さんの画像では、分け目こそ違えど中井と同じ“七三分け”の髪型が多い。2人を比べると目の部分以外は、父と息子そっくりである。出世作の『ふぞろいの林檎たち』では大学生の設定だったが、生真面目で融通が利かない役柄だったためか、この時すでに髪型は“七三分け”風である。街のイメージ調査でも「中井=七三」との答えもあったくらい、公の場で彼の髪型が大きく変わっていた記憶が世間には無いのだ。
「なぜ“七三分け”の髪型を続けているのか?」 中井はこの質問に、ある理容師の言葉が忘れられないと答えた。床屋で交わされた会話の中で、「男で髪型を変えるヤツは信用できない」、「あなたは信用できる男であって欲しい」との言葉が心に響いたそうだ。だが、その髪型がなぜ“七三分け”だったのかは明かされなかった。
50歳を過ぎればそろそろ自分の仕事の終い支度を心掛ける同年代の友人が多いのだが、中井は最近になって自分の意見が言える年になったと喜んでいる。そして「たまたま定年の無い仕事をしているので、今までやってきたことの無いことにトライしたい」と目を輝かせた。俳優として常に前に立ちはだかっていた父親との勝負は、天国で―と話す中井は、これからは別の分野にも挑戦したいと考えているような口ぶりであった。
(TechinsightJapan編集部 みやび)