芸能界には熱狂的なタイガースファンが数多く存在する。そのなかでも阪神タイガースへの圧倒的愛情を持ち、歴代選手・監督の物まねは本家以上? プロの解説者顔負けのトークができる人物といえば松村邦洋だろう。その松村邦洋に阪神愛、野球愛について熱く語ってもらった。
先日、都内にて「スポキャンオキナワ2015カウントダウン!」記者発表会が行われ、ゲストには野球解説者の田尾安志、プロスポーツコメンテーター山崎武司と阪神タイガースファンであり野球をこよなく愛するお笑い芸人松村邦洋の3人が熱いトークを繰り広げた。来年のペナントレースの順位予想など大いに盛り上がり、終始阪神の歴代監督・選手の物まねをした松村に「最後まで阪神だね」と田尾から感心されるほど松村の阪神愛は強い。
■小さい頃から洗脳!? 弱いチームが強くなるのが好き
――お父様の影響で阪神ファンになったと伺っていますが、松村さんがここまで深く阪神を愛する源はなんですか?
松村:僕が生まれた山口県田布施町という所が、うちの親父いわく町の由来が「『田淵と掛布を施す町』として生まれた町だ」と子供の頃教えられ、そうかなって(笑)。当たり前ですが、田布施町の方が歴史は古いんですけどね。野球ファンのオジサンに昔からタイガースが好きな人が多かったのもありますね。当時、昭和50年以降は広島カープ・赤ヘル軍団の時代で阪神が強くない時期もあり、判官贔屓じゃないですけど、弱いところが強くなるのが好きなんです。
■ジャイアンツには負けたくない!!
松村:1985年の優勝は嬉しかったですね。小学生の頃から(阪神に)優勝して欲しいなと願っていたので。そこから「暫く優勝はないのでは?」と言われていたのに2003年と2005年に優勝した時は、これまた嬉しかったですね。優勝っていうのは本当に難しいものですからね。しばらくジャイアンツが強い時期があり、それは悔しかったですね。FAなどでいい選手がみんなジャイアンツに集まった時代があったので「何くそ!!」って気持ちを強くしました。
■外見から入ったビートたけしの物まねが大うけ
――松村さんの物まね歴は長いと思いますが
松村:物まねは中学からやってます。当時(ビート)たけしさんが映画『戦場のメリークリスマス』に出ていました。中学2年の頃、たけしさんと僕の体型が同じだったんですよ。さらにたけしさんも映画で坊主にされ、僕も中学生だから坊主なんですよね。「メリークリスマス」って言うだけで「たけしさんに似てる」って周囲に言われて。じゃあ、結構いけるかなって思って。
■地元の高校が勝つと嬉しくてたまらない
――野球選手の物まねはいつくらいから始めたのですか?
松村:野球中継を見るようになってからですね。山口県出身なので高校時代は宇部商が好きで玉国光男監督(「ミラクル宇部商」の異名をとる立役者)の真似をよくやらせていただきました。地元の高校が勝ってくれるのがすごく嬉しくて。夏・春・夏と連続で一回戦負けだった宇部商が6-5でサヨナラホームランで勝った時、飛び上がって喜びました。その頃から玉国監督が好きで玉国監督の物まねばかりやっていましたね。
■地元愛は強い
――プロ野球に限らず高校野球もお好きなのですね
松村:地元の山口が負けたら自分の夏は終わったと思うくらい地元愛は結構あります。僕も軟式野球をやっていましたので、野球をすることも大好きです。今は時々草野球もやって、素振りだけはしています。
■マイブームは竹中直人と寺尾聰
――今、松村さんにとって旬の物まねは芸能人ではどなたになりますか?
松村:竹中直人さんと寺尾聰さんですかね、大河ドラマ「軍師官兵衛」を観ているので。「官兵衛、官兵衛、官兵衛よー。はっははははは」(竹中直人演じる秀吉の物まねを披露)。「この家康がいる限り、殿下に戦はさせません。それゆえ~殿下に陣羽織は不要でございます~」(寺尾聰演じる家康の物まねも披露)。
■地元の熊毛南高校、山口で準優勝に感激
――今年1年を振り返ってどんな年でしたか? 心に残ったことは何でしょうか?
松村:あっという間の1年でしたね。心に残ったのは日本シリーズ。あと一回戦負けが多かった地元の熊毛南高校が段々強くなって今年とうとう山口県の決勝戦まで行ったことですね。決勝戦は球場まで応援に行きました。今年いくんじゃないかって一回戦から予感がしたんですよ。そうしたら今年のクライマックスの阪神のようにあれよあれよという間に勢いづいて、決勝までいって負けました(笑)。勝った岩国高校の応援には甲子園まで行きました。大阪で朝のラジオ番組のピンチヒッターを3日間させていただき、生放送終わりで甲子園に行って岩国高校の試合をスタンドで見ることができ、嬉しかったですね。3日間甲子園に行けたことはいい思い出になりました。
■浅倉南の気持ちで応援した
松村:熊毛南高校の野球部監督は僕より一学年下の生徒のお父さんがやっていて、家で食事の時に野球の話は禁止、すぐにお風呂に入れて寝させるくらい気を遣っていたんですよ。いつも一回戦負けでしたから。それが段々強くなっていったので嬉しかったですね。漫画『タッチ』で“南を甲子園に連れて行って”ってありましたけど、浅倉南の気持ちで応援していましたね。家族、親戚一同熊毛南が多く、本当によく頑張っていたので嬉しかったです。
■体重をもう少し落としたかった。目標体重は70キロ
――今年、やり残したことは何かありますか?
松村:体重をもうちょっと落としたかったので、これから少しずつ落とそうかと。120キロまであったのが、今は114.8キロまでは落ちました。本当は70キロくらいがいいですね。体調はいいのですが、下に落ちている物を拾う、前かがみの時に苦しくなってしまうのでなるべく歩いたりしています。マラソンはもう出ないですけど(笑)。
ビートたけしの物まねの先駆者である松村邦洋。たけしの物まねは34年と歴史が長い。マイブームの竹中直人、寺尾聰の物まねも本人がそこにいるかのようである。野球の話、特に地元の高校野球の話をしている時の松村はなんと生き生きした表情で嬉しそうに話すのだろう。阪神愛ももちろん強いのだが、松村の心の根底には地元の高校野球を愛する気持ちが溢れていた。好きな物への探求心と地元愛。それこそが松村そのものなのだ。来年は今年よりスリムになった松村邦洋が熱く野球を語っている姿を目にするかもしれない。
(TechinsightJapan編集部 うめ智子)