コメディアンの萩本欽一の“最後の舞台出演”とされる舞台公演初日までを密着したテレビ番組が放送された。その中で“萩本流の演出術”の数々が明らかになった。
3月9日に放送された『ソロモン流』で、密着取材を受けたのはコメディアンの萩本欽一であった。萩本が演出を手掛け、今月7日に初日を迎えた明治座の舞台『欽ちゃん奮闘公演 THE LAST ほめんな ほれんな とめんな』の舞台裏の映像、そして萩本が自身にゆかりのあった場所を訪れ当時のことを回顧する様子が番組で公開された。
取材中に萩本はコメディアンとして修業を積んだ思い出の場所「浅草フランス座演芸場東洋館」(旧東洋劇場)に立ち寄り、18歳で入門した時のことを振り返った。入門したての頃萩本は「時代劇・日舞・洋舞・芝居・踊り子と一緒にダンス」など、毎日なんと8役も演じていた。舞台上で演じることで実戦を積みながら、萩本は「リズム・アドリブ・間」などを体に刻みこんでいったそうだ。
また明治座の舞台公演の裏側に迫った取材映像によって、萩本流の演出法も明らかになった。はじめに萩本は全体稽古の前に出演者と1対1で会って台本の読み合わせを行うのだが、その台本には「オトシ」の文字が随所にある。「書いたセリフよりも自分のセリフで言った方が勢いがある」という萩本の考えで、「オトシ」と書かれた部分のセリフは出演者自身が作っていくという。それゆえ、萩本はまず出演者と個別で会い「オトシ」の部分を中心にセリフを確認しながら“ひとりひとりの笑いの感度”を探っているのだと語る。
さらに、全体稽古においても萩本ならではの演出が存在した。萩本は「(芝居を固めると)お客さんは笑わない」と考える。そのためひとつのシーンを(アドリブを交えて)数回稽古をつけて演者たちが感覚を掴んできたところで、萩本は「もうそこはおしまい」と言ってあえて稽古を終わりにする。このライブ感を活かした「欽ちゃん流アドリブ重視」の演出は、坂上二郎(故人)と結成した「コント55号」時代に培われてきたものだと番組で紹介されていた。実は先日出版された『小林信彦 萩本欽一 ふたりの笑タイム 名喜劇人たちの横顔・素顔・舞台裏』(集英社、2014年)の中で、萩本がその真意について口にした箇所がある。
ある時ザ・ドリフターズが懸命に稽古をしている様子を観た萩本は、はじめのうちはコント55号も同じようにテレビ番組でコントをするにあたって一生懸命に稽古をしていたという。しかし、そうすると「ドリフと似たようなものになっちゃうような気が」した萩本は、「じゃあ(コント)55号は稽古するのをやめよう」と思い立ったのだと小林氏に語っていた。
18歳で入門した浅草の舞台で身につけた感覚と、同時代にバラエティ番組を牽引してきた「ザ・ドリフターズ」というライバルの存在、そして「コント55号」時代にアドリブの応酬をやりあってくれた相方(坂上二郎)の存在。これら全ては、“コメディアン 萩本欽一”が「アドリブ重視の舞台」の演出を手掛ける際の原動力となっているのかもしれない。
(TechinsightJapan編集部 TORA)