東日本大震災から2年目となった3月11日、AKB48は23回目の被災地訪問活動を10組に分かれて東北各県の10か所で行った。その様子が3月21日にNHKで放送されると、子供たちを中心とした被災地の方々とAKB48メンバーの姿に対する感想がネット上にも寄せられている。中でも小学校の教頭先生の言葉には、大きな反響があった。
あの大震災が起きた2011年の3月11日から約2か月後のことだ。AKB48は支援活動の一環として5月22日にメンバー6人が岩手県・大槌町と山田町を訪れた。それからはメンバーが交代して月に1回、被災地を訪問してミニライブなどを行っている。
今年の3月11日には6人編成のチーム10組が被災地を訪れた。3月21日に放送された『MJ presents AKB48 ドキュメント3.11』(NHK総合)では、その様子がダイジェストで紹介されたのだ。
当日の朝、東京を発った彼女たちは出発直前まで打ち合わせや振付けの確認を行って臨んだ。会場に向かう途中で鎮魂と希望の鐘や慰霊碑を訪れるとメンバーは沈痛な表情で祈りを捧げる。大家志津香は感極まって大粒の涙が止まらない状態だ。2時46分には、各チームがそれぞれに控え室や車から降りた路上などで黙祷をささげた。そんな心境で各会場に到着した彼女たちは、ステージでミニライブを行わなければならない。
一番にスタートしたのは、大島優子らのチームが訪れた大槌町の会場だ。大島はメンバーと円陣を組むと、いつもより静かな口調だが目で語りかけるように「2年だからね。私たちが最高の楽しい思い出にしましょう。じゃ頑張るぞ、いいですか」と心をひとつにしてステージに向かったのである。そんな彼女たちを迎えてくれたのは、子供たちの笑顔と歓声だった。
松井咲子や松井珠理奈のチームが訪れたのは亘理町の小学校だ。彼女たちは各クラスで生徒たちと記念撮影を行うと、“ありがとうAKB48のみなさん”“AKB48長瀞なう”などの文字が書かれたパネルや黒板で歓迎された。その後に体育館のステージでミニライブを行うと子供たちは生き生きと踊り、歌って盛り上がったのである。
ライブを終了して控え室で休憩するAKB48メンバーに、小学校の教頭先生が言葉をくれた。「子供たちのあり得ない姿。見させていただきました」と聞いたメンバーは溢れる感情を抑えていたが、松井珠理奈は手で口を押さえて嗚咽をこらえるのがやっとだった。
「肩組んで、ジャンプして、手を振って…あり得ないんですよ」と先生は続ける。「あの子たちのかなり多くがおうちを流されました。親戚や家族を亡くした子もいます。思い出の品も大事なものも、全部流れて無くなって。今は仮設住宅にいる子もいっぱいいるんですけど、あんな姿びっくりしました。皆さんの力ですね、すごいです」と話すと、先生は「ぜひ、続けてください」と笑顔でメンバーに伝えたのである。
帰りのバスの中で大島優子は「今日、来てくれた中でお母さんの方がいたんですね」と被災者の女性からかけられた言葉を明かした。その女性は「今日は2年目なので、あの3月11日のことを思い出してしまい仮設住宅でずっと泣いていたんです。でも来てくれるって聞いたので出て来れました。すごく笑顔になれました。良かった、ありがとう」と気持ちを伝えてくれたのだ。
大島はそんな声をかけてもらい「2年目ということですごく怖かったんですけど、でも来た意味があると…皆さんを笑顔にできたという実感がちゃんと沸きました」、「その方の3月11日を笑顔に塗りかえることが、私たちのできることなんだと思いました」と心境を語った。
番組終了後にはAKB48ファンによる関連サイトでも取り上げられており、「短い時間なのに良かった」、「2時間ぐらいやってほしかった。良い番組だった」と好評なコメントが寄せられた。「大家の涙」、「珠理奈が感極まって泣いちゃうところでもらい泣きしそうになった」とメンバーの姿に感激したものも少なくない。
「こういう活動はいいね」、「3月11日にいろいろ言われていたけど、子供たちの笑顔とはしゃぎぶりを見たら絶対にこの活動は間違っていないって思った」といったコメントを見ると、AKB48総合プロデューサーの秋元康が高橋みなみに話したという「偽善者と思われても何もやらないよりいい」の真意が分かるようだ。復興支援について考えさせられる内容だった。
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)