エンタがビタミン

writer : naomaru

【エンタがビタミン♪】「間違いなく“恩人”」。ナイナイ岡村、藤本義一さんの思い出を語る。

作家で脚本家の藤本義一さんが10月30日、肺がんのために79歳で亡くなった。数多くの名著を残していることはもちろん、関西ではお笑いコンクールなどの審査員を務めていたことでも有名だ。その審査を受けたことある芸人のひと組、ナインティナインが藤本さんを偲び思い出を語った。

11月1日深夜に放送された『ナインティナインのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)でのこと。ナインティナイン・岡村隆史が藤本義一さんの訃報を受け、思い出を語り始めた。

ナイナイが1992年、“第13回ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞”を受賞した時の審査委員長が藤本さんだった。岡村はその時の様子を「一発勝負の生放送という場の空気で、一番面白い芸人を選んでくれた」と感じたという。受賞後は、藤本さんから直接「満場一致だったよ」と声を掛けられたのだ。

ナイナイは、その時まで大きなコンクールでの受賞経験がなかった。前評判も低く、1991年には吉本の若手コンビ6組で構成されるユニット『吉本印天然素材』に参加していたナイナイだったが、どのコンビよりも知名度が低かったのだ。しかし、この“ABCお笑い新人グランプリ”以降、「変わった」と岡村は話す。知名度はもちろん、テレビ番組での待遇も変わっていったという。

その後の“第22回上方お笑い大賞銀賞”を受賞した時も、藤本さんが審査委員長だった。お笑いコンクールなどの審査席に座る藤本さんは、一見やわらかな語り口調とは裏腹であり、個性的な視点からの容赦ない評価は数々の芸人たちをズバズバと斬ってきた。ダウンタウンが新人の頃、漫才コンクールに出場した際に藤本さんから酷評されたエピソードは有名である。

ナイナイをして、「藤本さんは間違いなく“恩人”」と言わしめるほど“ABCお笑い新人グランプリ”の受賞はその後の彼らに大きく影響したのだ。審査委員長だった藤本さんに感謝していることだろう。藤本義一さんの御冥福をお祈りいたします。
(TechinsightJapan編集部 佐々木直まる)