自称、子供の頃から“テレビっ子”だったというバナナマン・日村勇紀。その日村が、長年あこがれ続けた『笑っていいとも!』についにレギュラーとして出演を果たした。当日の極度に緊張した日村の様子と、普段あまり語られることのない『いいとも』出演前の舞台裏をバナナマンのふたりが語った。
ラジオ番組『JUNK バナナマンのバナナムーンGOLD』で、『笑っていいとも!』での初日の様子が語られた。ゲストでは何度も出演したことがある『いいとも』だったが、レギュラーとしての出演は初めてのその日。番組スタート時、相方の設楽統は朝の報道番組『ノンストップ!』の生放送を終えたお台場のスタジオから、まだ到着していなかったのだ。日村は1人でとても緊張し「怖くなった」とその時の胸中を語った。
異様な雰囲気に緊張しつつ舞台袖にむかった日村。すると本番前に舞台の袖で、関根勤を中心に円陣を組みはじめたという。関根は1985年からレギュラーを務めるベテランだ。同じくレギュラーのSMAPの草なぎ剛、劇団ひとりなど出演者全員がその円陣に加わっていた。全員が自らを鼓舞するかのごとく、手を前に出し「金曜日、オウ!」と関根の合図とともに掛け声をあげたそうである。そして、タモリの「金曜日レギュラーです」という紹介と共に、全身に極度の緊張と興奮をみなぎらせ、日村は“夢の舞台”に躍り出た。
そのオンエアの様子を移動中の車内で見ていた設楽は、「(日村の)顔面が緊張でやばい感じだった」と苦笑した。
『笑っていいとも!』は、1982年に放送が始まってから今年で30年になる。この超人気、超長寿番組への出演にあこがれて、そしてその夢がかなうという高揚感は、成し遂げた者にしか分からない特別なものがあるようだ。
(TechinsightJapan編集部 佐々木直まる)